論語と算盤 / 理想と迷信・これは果して絶望か
組織以来最早数年を経過して居る、之が会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少は居て、而して或る問題に就てお互に研究し合つて居る、私は即ち仁義道徳と生産殖利といふことは、一致すべきものであり、一致させたいものであることに就て、自分は四十年来その事を唱道し実践して居る、併しながら道理は左様であるけれども、之に反する事実が屢次世間に現はれるのは、真に情ない次第である。
新字:組織以来最早数年を経過して居る、之が会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少は居て、而して或る問題に就てお互に研究し合つて居る、私は即ち仁義道徳と生産殖利といふことは、一致すべきものであり、一致させたいものであることに就て、自分は四十年来その事を唱道し実践して居る、併しながら道理は左様であるけれども、之に反する事実が屡次世間に現はれるのは、真に情ない次第である。
書き下し
組織以来もはや数年を経過している。これが会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少はいて、そしてある問題についてお互いに研究し合っている。私はすなわち仁義道徳と生産殖利ということは、一致すべきものであり、一致させたいものであることについて、自分は四十年来その事を唱道し実践している。しかしながら道理はそうであるけれども、これに反する事実がしばしば世間に現れるのは、真に情けない次第である。
現代語訳
組織してからもう数年が経っている。会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少いて、ある問題について互いに研究し合っている。私は、仁義道徳と生産殖利とは一致すべきものであり、一致させたいものであるということについて、四十年来それを唱え、実践してきた。しかしながら、道理はそうであるけれども、これに反する事実がたびたび世間に現れるのは、まことに情けないことである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望かこの関係を押し進めて政治にせよ、法律にせよ、軍事にせよ、あらゆる事柄をこの仁義道徳に一致させなければいけない。一方は仁義道徳に従って正しき商売の道を踏んでも、一方が賄賂を要請するというような片足ではいけない。世の中のことはほとんど車を回すようなもので、お互いに仁義道徳を守って行かなければ、必ずどこかに扞格を生ずるのであるから、一切の事柄をして仁義道徳に合致せしむるよう、相互に努めなければならぬ。この主義を十分に拡大して広く社会に行うならば、賄賂などというような、忌まわしいことは自ずと止むに至るであろう。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か私どもの組織している帰一協会というのがある。帰一というのはほかでもない、世界の各種の宗教的観念、信仰等は、ついに一に帰する期のないものであろうか、神と言い、仏と言い、耶蘇と言い、人間の踏むべき道理を説くものである。東洋哲学でも西洋哲学でも、自然些細な事物の差はあるけれども、その帰趣は一途のように思われる。「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊といえども行われん」と言い、反対に「言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里といえども行われんや」と言っているのは、これは千古の格言である。もし人に忠信を欠き行いが篤敬でなかったならば、親戚故旧たりともその人を嫌がるに違いない。西洋の道徳もやはり同じような意味のことを説いている。ただ西洋の流儀は積極に説き、東洋の流儀は幾分か消極に説いてある。例えば、孔子教では「己の欲せざる所、人に施すなかれ」と説いてあるのに、耶蘇の方では「己の欲する所、これを人に施せ」と、反対に説いてあるようなもので、幾分かの相違はあるけれども、悪いことをするな、善いことをせよと言う。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か言い現し方の差異で、一方は右から説き、一方は左から説き、そして帰する所は一である。かようにほどあいのもので、深く研究を進めるならば、各々宗派を分かち、門戸を異にして、甚だしきは相凌ぐというようなことは、実は馬鹿らしい事であろうと考える。すべてにおいて帰一が出来るか否かは判らぬけれども、ある程度の帰一を期し得るものなれば、そうあらしめたいという考えで、組織せられたのがすなわち帰一協会である。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か自分の説に対して平和協会のボール氏とか、井上博士、塩沢博士、中島力造博士、菊池大麓男などは、全然帰一とまでは行かないにしても、必ずある程度までは帰一し得らるべきものである。世の中の物事が、時としては横道に外れるようなこともあるが、それはその事物が悪いので、そのために真理は少しもくらまされるものではない。昔はこうであったとか、こういう理論もあるとか言われて、仁義道徳と生産殖利とは必ず一致すべきもの、また一致せなければ真正の富を造り成し、これを永久に捕捉することの出来ないものであるということは、たいていの議論が帰着しようと思うと言っておられる。もし果たしてこういう論旨が十分に徹底して、世の中に鼓吹せられ、生産殖利は必ず仁義道徳によらねばならぬ、という観念が打成されたならば、仁義道徳に欠ける行為はおのずから止むに至るであろう。例えば、御用物品の買い上げに従う職司の人も、賄賂は仁義道徳に背くと心付けば、とても賄賂を収め得るものでない。御用商人の側から言うても、仁義道徳に背戻すると思えば、賄賂を行うことは出来まい。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものこれはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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