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論語と算盤 / 理想と迷信・これは果して絶望か

組織以来最早数年を経過して居る、之が会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少は居て、而して或る問題に就てお互に研究し合つて居る、私は即ち仁義道徳と生産殖利といふことは、一致すべきものであり、一致させたいものであることに就て、自分は四十年来その事を唱道し実践して居る、併しながら道理は左様であるけれども、之に反する事実が屢次世間に現はれるのは、真に情ない次第である。

新字:組織以来最早数年を経過して居る、之が会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少は居て、而して或る問題に就てお互に研究し合つて居る、私は即ち仁義道徳と生産殖利といふことは、一致すべきものであり、一致させたいものであることに就て、自分は四十年来その事を唱道し実践して居る、併しながら道理は左様であるけれども、之に反する事実が屡次世間に現はれるのは、真に情ない次第である。

書き下し

組織以来もはや数年を経過している。これが会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少はいて、そしてある問題についてお互いに研究し合っている。私はすなわち仁義道徳と生産殖利ということは、一致すべきものであり、一致させたいものであることについて、自分は四十年来その事を唱道し実践している。しかしながら道理はそうであるけれども、これに反する事実がしばしば世間に現れるのは、真に情けない次第である。

現代語訳

組織してからもう数年が経っている。会員は日本人ばかりでなく、欧米人も多少いて、ある問題について互いに研究し合っている。私は、仁義道徳と生産殖利とは一致すべきものであり、一致させたいものであるということについて、四十年来それを唱え、実践してきた。しかしながら、道理はそうであるけれども、これに反する事実がたびたび世間に現れるのは、まことに情けないことである。

解説

帰一協会には日本人だけでなく欧米人の会員もいて、問題を立てて研究し合っていた。渋沢がそこに持ち込んだ主題が、仁義道徳と生産殖利の一致である。宗教の帰一を探る会で経済と道徳の一致を論じるのは、一見場違いに見える。しかし渋沢にとっては同じ問いだった。異なる教えが共通の道理に帰するように、道徳と経済もまた一つの道理に帰するはずだ、というのである。四十年来それを唱え実践してきた、と彼は言う。明治六年に第一国立銀行を創立してからおよそ四十年、この主張は渋沢の実業人生そのものだった。それでも道理に反する事実がたびたび世間に現れる、と嘆く。章の題「これは果して絶望か」はこの嘆きから来ている。四十年説いても不正はなくならない。それは絶望すべきことなのか。渋沢は次の段で、識者たちの見解を頼りにこの問いに答えようとする。長く同じ理念を説き続けても現実が変わらないとき、理念を捨てるのか、説き方を変えるのか、それとも説き続けるのか。

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