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論語と算盤 / 理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし

然るに今日欧羅巴の戦争の有様は、細かに承知はしないが、実に惨澹たる有様である、殊に独逸の行動の如きは、謂ゆる文明なるものは何れにあるか分らぬと云ふやうな次第である、蓋し其の根源は、道徳といふものが国際間に遍ねく通ずることが出来ないで、遂に是に至つたものと思ふ、果して然らば凡そ国たるものは斯る考を以てのみ、其の国家を捍衛して行かねばならぬものであるが、何とか国際の道徳を帰一せしめて、謂ゆる弱肉強食といふことは、国際間に通ずべからざるものとなさしむる工夫が無いものであらうか、畢竟政治を執る人、及び国民一般の観念が、相共に自己の勝手我儘を増長するといふ慾心が無かつたならば、此の如き惨虐を生ぜしむることは無からうけれども、一方が退歩すると他方が遠慮なく進歩して来るやうでは、此方も進まなければならぬから、勢ひ相争ふやうになり、結局戦争せねばならぬことになる、

書き下し

しかるに今日ヨーロッパの戦争の有様は、細かに承知はしないが、実に惨澹たる有様である。ことにドイツの行動のごときは、いわゆる文明なるものはいずれにあるか分からぬというような次第である。けだしその根源は、道徳というものが国際間に遍く通ずることが出来ないで、ついにここに至ったものと思う。果たしてしからばおよそ国たるものはかかる考えをもってのみ、その国家を捍衛して行かねばならぬものであるが、何とか国際の道徳を帰一せしめて、いわゆる弱肉強食ということは、国際間に通ずべからざるものとなさしむる工夫が無いものであろうか。畢竟政治を執る人、および国民一般の観念が、相共に自己の勝手我がままを増長するという慾心が無かったならば、かくのごとき惨虐を生ぜしむることは無かろうけれども、一方が退歩すると他方が遠慮なく進歩して来るようでは、こちらも進まなければならぬから、勢い相争うようになり、結局戦争せねばならぬことになる。

現代語訳

ところが今日のヨーロッパの戦争のありさまは、詳しくは知らないが、実に惨憺たるものである。とりわけドイツの行動などは、いわゆる文明というものがどこにあるのか分からないというほどである。思うにその根源は、道徳というものが国と国との間にあまねく通じることができず、ついにここに至ったものだと思う。そうであるなら、およそ国というものは、このような考えによってのみ自国を守っていかなければならないことになるが、なんとか国際間の道徳を一つにまとめて、いわゆる弱肉強食ということが国際間に通用しないようにする工夫はないものだろうか。結局のところ、政治を執る人も国民一般も、ともに自分の勝手やわがままを増長させる欲心がなかったなら、このような惨たらしいことを生じさせることはなかっただろう。けれども、一方が退けば他方が遠慮なく進んでくるようでは、こちらも進まなければならないから、勢い互いに争うようになり、結局は戦争しなければならないことになる。

解説

渋沢は大戦の惨状、とりわけドイツの行動に、文明はどこにあるのかと嘆く。中立国ベルギーへの侵攻などが当時の日本でも報じられていた。この評価は交戦国の一方の側から見たものであり、時代の文脈の中で読む必要がある。渋沢の関心は特定の国を責めることより、構造の方にある。道徳が国内では通用しても、国と国との間には通じない。そのため弱肉強食が国際間の原理になってしまう。さらに鋭いのは、一方が退けば他方が遠慮なく進んでくるから、こちらも進まざるを得ず、結局は戦争になるという指摘である。今日の言葉でいえば安全保障のジレンマであり、軍拡競争の力学を正確に言い当てている。渋沢は理想を語りながら、この力学から目をそらさない。企業どうしの過当競争でも、相手が引かないから自分も引けないという連鎖が、業界全体を消耗させることがある。その連鎖を断つ工夫があるかを、彼は問うている。

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