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論語と算盤 / 理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし

夫程に戦争の惨虐なものであるといふ事が唱へらる〻位だから、今度の如き全欧州の大戦乱なぞは、決して起るべきもので無いやうに思はれて居つたが、丁度昨年(大正三年)の七月末に日々各新聞紙の報導を見た頃、私は両三日旅行して、如何なるかといふ人の問に答へて、新聞紙で一見すれば戦争が起ると信ぜられるが、先年亜米利加のジヨルダン博士が「モロツコ」問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー、ビー、モルガン氏の忠言の為に戦争が止んだといふことを、電報でいつて来たと言うて、―博士は素より平和論者であるから、平和に重きを措いたのであらうが―特に手紙を寄越したことがある、私も其説を深く信じた訳では無かつたけれども、世の進歩の度が増すに随つて人々が能く考慮するから、戦乱は自然と減ずるといふ道理が起つて来る訳で、それは自然の勢ひと思はれると申したことであつた。

書き下し

それほどに戦争の惨虐なものであるという事が唱えらるるくらいだから、今度のごとき全欧州の大戦乱なぞは、決して起こるべきものでないように思われておったが、ちょうど昨年(大正三年)の七月末に日々各新聞紙の報道を見た頃、私は両三日旅行して、いかになるかという人の問いに答えて、新聞紙で一見すれば戦争が起こると信ぜられるが、先年アメリカのジョルダン博士が「モロッコ」問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー、ビー、モルガン氏の忠言のために戦争が止んだということを、電報で言って来たと言うて、―博士はもとより平和論者であるから、平和に重きを措いたのであろうが―特に手紙をよこしたことがある。私もその説を深く信じた訳ではなかったけれども、世の進歩の度が増すにしたがって人々がよく考慮するから、戦乱は自然と減ずるという道理が起こって来る訳で、それは自然の勢いと思われると申したことであった。

現代語訳

それほど戦争は惨たらしいものだと唱えられるくらいだから、今度のような全欧州の大戦乱などは、決して起こるはずがないように思われていた。ちょうど昨年(大正三年)の七月末、毎日各新聞の報道を見ていたころ、私は二、三日旅行していて、どうなるだろうかという人の問いにこう答えた。「新聞を一見すれば戦争が起こると思われる。しかし先年、アメリカのジョルダン博士が、モロッコ問題が生じたときに、米国の有名な財政家J・P・モルガン氏の忠告によって戦争が止んだということを、電報で知らせてきたと言って、――博士はもとより平和論者であるから平和に重きを置いたのであろうが――わざわざ手紙をよこしたことがある。私もその説を深く信じたわけではなかったが、世の進歩の度合いが増すにつれて人々がよく考えるようになるから、戦乱は自然と減るという道理が生まれてくるわけで、それは自然の勢いだと思われる」と申したのであった。

解説

大正三年七月末、欧州で開戦が迫っていた時期の回想である。渋沢は、どうなるかと問われて、戦争は起こりそうだが世の進歩につれて戦乱は自然に減るはずだと答えた、と書く。その根拠として、アメリカのジョルダン博士から届いた手紙を挙げる。スタンフォード大学初代学長で平和運動家のデイヴィッド・スター・ジョーダンのことと思われる。モロッコをめぐって独仏が対立したとき、財政家J・P・モルガンの忠告で戦争が回避されたという話を知らせてきたという。金融の力が戦争を止めるという話は、実業による国際協調を信じた渋沢にとって心強いものだったろう。しかし結果は、まもなく始まった世界大戦だった。渋沢はこの見込み違いを隠さずに書いている。自分の予想が外れたことを率直に認め、そこから考え直そうとする姿勢が、次の段の問いにつながる。見通しを誤ったとき、それを語り直せる指導者は信頼される。

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