論語と算盤 / 理想と迷信・道徳は進化すべきか
想ふに二十四孝の教旨の如きは、仮設のものにて的例にはなり難きも、善事といふことに就ては、見方が世の進歩と共に色々に変るといふことがありませぬか、若し或る物質に就て考へたら、即ち電気もなく蒸気も無かつた時のことを今日から囘想して、殆んど並べ較べにならぬやうになる、故に道徳といふものも左様にまで変化するものであれば、昔の道徳といふものは余りに尊重すべき価値は無くなるが、
書き下し
思うに二十四孝の教旨のごときは、仮設のものにて的例にはなり難きも、善事ということについては、見方が世の進歩と共に色々に変わるということがありませぬか。もしある物質について考えたら、すなわち電気もなく蒸気も無かった時のことを今日から回想して、ほとんど並べ較べにならぬようになる。ゆえに道徳というものもそのようにまで変化するものであれば、昔の道徳というものはあまりに尊重すべき価値は無くなるが。
現代語訳
思うに、二十四孝の教えのようなものは作り話であって、確かな例にはなりにくいが、善い事というものについては、見方が世の進歩とともにいろいろに変わる、ということがないだろうか。もし物質について考えるなら、電気もなく蒸気もなかった時代のことを今日から振り返ると、ほとんど比べものにならないほどになっている。だから道徳というものもそこまで変化するものであるなら、昔の道徳というものには、それほど尊重すべき価値はなくなってしまうが、
解説
渋沢はここで問いの重さを自分で引き受ける。二十四孝は作り話で確かな例にはならないとしても、善い事への見方が世の進歩とともに変わるのは確かではないか。物質の世界では、電気も蒸気もなかった時代と今とは比べものにならない。もし道徳もそれほど変わるものなら、昔の道徳にはたいして尊重すべき価値はなくなる。論語を生涯の指針とし、四十年来、論語と算盤の一致を説いてきた渋沢にとって、これは自分の立脚点を揺るがしかねない問いである。彼はそれを避けずに、いったん最後まで押し進めている。そのうえで章の結びでは、仁義のような根本は東西の聖賢の論を見てもほとんど変わっていない、という結論に至る。変わるものを変わると認めたうえで、変わらないものを確かめる、という議論の運び方である。自分の信条に都合の悪い問いを、いったん真正面から受け止める態度は、どの時代の意思決定にも欠かせない。
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきかすなわち孝の一事にしても、世の進歩につれて人の毀誉が異なると言ってもよいと思う。さらに一の例を言えば、王祥が親を養いたいために、鯉魚を捕うるとて、裸体になって氷の上に寝ておったら、鯉が飛び出したということがある。これは戯作かも知らぬが、もし事実としたならば、いかに孝道なればとて、その心の神に感通する前に身体が凍死したならば、かえって孝道に反するであろう。
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『論語と算盤』実業と士道・果して誰の責任ぞ維新以来物質的文明が急激なる発達をなしたるに反し、道徳の進歩がそれに伴わなかったので、世人はこの不釣合の現象に著しく注目して、商業道徳退歩というのであるとして見れば、仁義道徳の修養に心を用い、物質的進歩と互角の地位に進ませるが目下の急務には相違ないが、一面から考察して見ると、単に外国の風習ばかりを見て、直ちにこれを我が国に応用せんとすれば、あるいは不可能を免れぬこともある。
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『論語と算盤』実業と士道・果して誰の責任ぞ世人ややもすれば維新以後における商業道徳は、文化の進歩に伴わずしてかえって衰えたと言う。しかしながら余はなにゆえに道徳が退歩、もしくは頽廃したか、その理由を知るに苦しむ者である。これを昔日の商工業者に比すれば、今日の商工業者とそのいずれが道徳観念に富み、いずれが信用を重んずるであろうか。余は今日をもって遙かに昔日に優るものと断言するに憚からぬ。けれども今日他の事物の進歩した割合に道徳が進んでおらぬとは、すでに前説のごとくであるから、余は必ずしも世人の説を駁する訳ではない。ただ吾人のこの間に処するものは、かくのごとき世評の生ずる理由を詮索し、一日も早く道徳をして物質的文明と比肩せしめ得るの程度に向上させなくてはならぬ。それは前に述べたるがごとき方法の下に道徳を講ずるのが先決問題であろう。しかしそれとても特別の工夫方法を要する訳でなく、ただ日常の経営においてさよう心掛けておれば足るのであるから、さまで難しいものではない。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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