論語と算盤 / 理想と迷信・道徳は進化すべきか
進化は生物のみでは無い、若しもダーヴヰン氏の説に拠りて、古いものは自然に進化すべしと言は〻゙、科学の発明、生物の進化に伴つて、追々に変更するといふことになつて然るべき訳ではないか、但し進化論は多くの生物に就て説明したやうであるけれども、研究を重ねて往つたならば、生物でなくても追々推移変更するものではないか、変るといふよりは寧ろ進み行く有様がありはせぬか、何時頃の教であるか知らぬが、支那で唱へる二十四孝は、種々なる孝行の例を二十四挙げてある、其の中に最も笑ふべきは郭巨といふ人が、其の身貧にして親を養ふ資財なく、為めに吾が児を生埋にしやうと思つて土を掘つたら釜が出た、其の釜の中に多くの黄金があつたので、吾が児を生埋にせずとも親を養ふことが出来た、即ち孝の徳であると云うて居る、若し今の世の中で、親孝行の為めに我が児を生埋にすると云ふたならば、馬鹿な事をする、困つたものだと人が評するに相違ない、
書き下し
進化は生物のみではない。もしもダーウィン氏の説によりて、古いものは自然に進化すべしと言わば、科学の発明、生物の進化に伴って、追々に変更するということになってしかるべき訳ではないか。ただし進化論は多くの生物について説明したようであるけれども、研究を重ねて行ったならば、生物でなくても追々推移変更するものではないか。変わるというよりはむしろ進み行く有様がありはせぬか。いつ頃の教えであるか知らぬが、支那で唱える二十四孝は、種々なる孝行の例を二十四挙げてある。その中に最も笑うべきは郭巨という人が、その身貧にして親を養う資財なく、ために我が児を生き埋めにしようと思って土を掘ったら釜が出た。その釜の中に多くの黄金があったので、我が児を生き埋めにせずとも親を養うことが出来た。すなわち孝の徳であると言うている。もし今の世の中で、親孝行のために我が児を生き埋めにすると言うたならば、馬鹿な事をする、困ったものだと人が評するに相違ない。
現代語訳
進化は生物だけのことではない。もしダーウィン氏の説に基づいて、古いものは自然に進化するものだと言うなら、道徳も科学の発明や生物の進化に伴って、だんだん変わっていくことになってしかるべきではないか。ただし進化論は多くの生物について説明したもののようだが、研究を重ねていけば、生物でなくてもだんだん移り変わっていくものではないか。変わるというより、むしろ進んでいくありさまがあるのではないか。いつごろの教えなのかは知らないが、中国で唱えられている二十四孝は、さまざまな孝行の例を二十四挙げたものである。その中で最も笑うべきものは、郭巨という人の話である。彼は貧しくて親を養う財がなく、そのために我が子を生き埋めにしようと思って土を掘ったところ、釜が出てきた。その釜の中にたくさんの黄金が入っていたので、我が子を生き埋めにしなくても親を養うことができた。これが孝の徳だというのである。もし今の世の中で、親孝行のために我が子を生き埋めにすると言ったら、「馬鹿なことをする、困ったものだ」と人は評するに違いない。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきかしかし今日理化学がいかに進歩して、物質的の智識が増進して行くにもせよ、仁義とかいうものは、ひとり東洋人がそのように観念しているばかりではなく、西洋でも数千年前からの学者、もしくは聖賢とも称すべき人々の所論が、あまり変化をしていないように見える。果たしてしからば古聖賢の説いた道徳というものは、科学の進歩によって事物の変化するごとくに変化すべきものではなかろうと思うのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきか思うに二十四孝の教旨のごときは、仮設のものにて的例にはなり難きも、善事ということについては、見方が世の進歩と共に色々に変わるということがありませぬか。もしある物質について考えたら、すなわち電気もなく蒸気も無かった時のことを今日から回想して、ほとんど並べ較べにならぬようになる。ゆえに道徳というものもそのようにまで変化するものであれば、昔の道徳というものはあまりに尊重すべき価値は無くなるが。
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『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきか道徳というものは、他の理学化学のように、だんだん進化して行くものであるか、つまり道徳は文明に従って進化すべきものであるかというのである。ちょっと了解し難い言葉であるが、前にも言うごとく、宗教信念をもって道徳を堅固にするがよいか、さなくとも論理の上から徳義心は維持出来るものであるというように、追々その解釈が進化し来たりはせぬか。けだし道徳という文字は、支那古代の唐虞の世より、王者の道というのがすなわち道徳の語原である。ゆえに道徳という文字はよほど古い。
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『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきかすなわち孝の一事にしても、世の進歩につれて人の毀誉が異なると言ってもよいと思う。さらに一の例を言えば、王祥が親を養いたいために、鯉魚を捕うるとて、裸体になって氷の上に寝ておったら、鯉が飛び出したということがある。これは戯作かも知らぬが、もし事実としたならば、いかに孝道なればとて、その心の神に感通する前に身体が凍死したならば、かえって孝道に反するであろう。
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『論語と算盤』教育と情誼・孝らしからぬ孝何でも自然のままに任せて、母の思い通りにしてもらうところが、あるいは世間に、私を孝子孝子と言いはやして下さる所以であろうか」というのが、信州の孝子の答えであった。これを聞いて近江の孝子も翻然として大いに悟り、孝の大本は何事にも強いて無理をせず、自然のままに任せる所にある、孝行のために孝行を力めて来た我が身には、まだまだ至らぬ点があったのだと気付くに至った、と説いた所に道二翁道話の孝行修行の教訓があるのである。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間にできざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌ぎて蚊に食われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて、罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし、蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三つありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここにはすでに生まれたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。いずれをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟、この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、「妊娠中に母を苦しめ、生まれて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何」と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみにあらず、禽獣みな然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるのほかに、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事にあるのみ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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