論語 / 学而篇
曾子曰、「慎終追遠、民德歸厚矣。」
新字:曽子曰、「慎終追遠、民徳帰厚矣。」
書き下し
曾子曰く、「終りを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」
現代語訳
曾子がおっしゃった。「(父母の)死に際しては慎み深く葬儀を行い、遠い祖先を追慕すれば、民の徳は自然と厚くなるだろう。」
解説
曾子は、親の弔いを心を込めて丁寧に行い、遠い先祖のことを偲び続ければ、人々の心も自然と篤くなっていく、と述べています。目の前のことだけでなく、亡くなった人への弔いや、遠い過去への敬意を忘れないこと。これは何も特別な儀式の話だけではありません。家族や地域の歴史、これまで大切にされてきた行事や習わしを軽んじずに受け継ぐ姿勢そのものが、周りの人の心を落ち着かせ、信頼できる雰囲気を作っていくということです。会社であれば、創業の頃の思いや、これまで力を尽くしてくれた人たちへの感謝を忘れずに語り継ぐこと。家庭であれば、お盆やお彼岸に手を合わせ、先人への感謝を子どもに伝えていくこと。そうした一貫した姿勢の積み重ねが、集団全体に落ち着いた厚みのある人柄を育てていくのです。
この章句が説くこと
慎終追遠葬儀祖先祭祀民徳孝道徳
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