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論語と算盤 / 仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ

孔孟教の根底を誤り伝へたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、殆んど総てを利己主義たらしめ、其の念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚しきに至つては法網を潜られるだけ潜つても金儲けを仕度いの一方にさせて仕舞つた、従つて今日の謂ゆる実業家の多くは、自分さへ儲ければ他人や世間は如何あらうと構はないといふ腹で、若し社会的及び法律的の制裁が絶無としたならば、彼等は強奪すら仕兼ねぬといふ情ない状態に陥つて居る、若し永く此の状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔は益々甚しくなり、社会は愈〻浅間しい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ、これ誠に孔孟の訓を誤り伝へたる学者が数百年来䟦扈して居た余毒である、兎に角世の中が進むに伴れて、実業界に於ても生存競争が倍〻激しくなるは自然の結果といつて可い、

書き下し

孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。

現代語訳

孔孟の教えの根本を誤って伝えた結果、利用厚生に従事する実業家の精神は、ほとんどすべてが利己主義となり、その念頭には仁義もなければ道徳もなく、はなはだしい者に至っては、法の網をくぐれるだけくぐってでも金儲けをしたいという一方にさせてしまった。そのため今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲かれば他人や世間はどうなろうと構わないという腹づもりで、もし社会的・法律的な制裁がまったくなかったら、強奪さえしかねないという情けない状態に陥っている。もし長くこの状態を続けていけば、将来貧富の差はますますひどくなり、社会はいよいよあさましい結果に至ると予想しなければならない。これはまことに、孔孟の教えを誤って伝えた学者が数百年来はびこってきた、その残した毒である。ともかく世の中が進むにつれて、実業界でも生存競争がますます激しくなるのは、自然の結果と言ってよい。

解説

渋沢の筆はここで同時代の実業家に向く。多くは自分さえ儲かればよいという腹で、社会的・法律的な制裁がなければ強奪すらしかねない、と彼は書く。実業界の頂点にいた人が、自分の業界をここまで厳しく言い切っている点に注意したい。法の網をくぐれるだけくぐる、というのは、違法でなければよいという発想のことである。渋沢はそれを道徳の欠如と呼び、その行き着く先に貧富の差の拡大と社会の荒廃を見た。前段までの危険思想の話はここにつながる。実業家が利己に走れば格差が広がり、不満が危険思想の温床になる。つまり実業家の道徳は、個人の徳目ではなく社会の安定の条件なのである。生存競争が激しくなるのは自然だと認めたうえで、だからこそ競争の中で道徳を保つ信念が要る、と論は続いていく。法令順守を最低線ではなく到達点にしてしまう組織への警告として読める。

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