論語と算盤 / 仁義と富貴・金力悪用の実例
或は取扱上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、極く軽微な何等かのことはあるかも知れないけれども、曩に発現した海軍収賄事件のやうな大仕掛の罪悪は、苟くも双方悪い考が一致しなければ出来ぬ筈である、よし一方から賄賂を贈つて来ても、一方が是を受けぬと云へば仕方がない、又役人に不心得な者があつて、婉曲に或は露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思ふ者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である、已むを得ずば其の取引を断つても、そんな罪悪は成立せぬやうにすることが出来る筈である、私共は爾かあるべきものと確く信じて居る。
書き下し
あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。
現代語訳
取り扱い上の面倒があるので、正当な売買のほかに、ごく軽い何かがあることはあるかもしれない。けれども、先ごろ明るみに出た海軍収賄事件のような大がかりな罪悪は、かりにも双方の悪い考えが一致しなければ起こりえないはずである。たとえ一方から賄賂を贈ってきても、もう一方が受け取らないと言えばそれまでである。また役人の中に心得違いの者がいて、遠回しに、あるいは露骨に贈賄を促したとしても、御用商人である実業家が自分の良心に照らして面目と信用を大切に思う者であれば、必ずそんな要請には応じないはずである。やむを得なければその取引を断ってでも、そうした罪悪が成り立たないようにできるはずである。私たちは、そうあるべきものだと固く信じている。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例畢竟かような事件の発生するのも、仁義道徳と生産殖利を別々に考えて取り扱うからであろうと思われる。いやしくも生産殖利は正しき道によって経営すべきものであるとの観念が、我々お互い実業者間の信条となっているならば、外国の人はともかく、日本の実業家中にそのような不正を働く者のないことを誇り得るでもあろう。たとい相手方の人が貪慾心に駆られ、内々これこれのことをした、我輩の労に酬いろというような顔色を示したり、甚だしきは露骨に口に出してそのような申出でをなすような場合にも、それは正義に背く行為であるから、私には出来ぬと言って、きっぱり断るくらいの覚悟をもって商売をしたならば、必ずそのような誘導の起こるものではない。ここにおいて私はますます実業家の人格を高めることの必要を痛切に感ずるのである。実業界に不正の行為が跡を絶たぬようでは、国家の安全を期することが出来ないと言うまでに、深く私は憂えている。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例しかるに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、その納入について贈賄が行われたというのである。またひとり「シーメンス」会社にのみそのような事があったというのではない。およそ主なる物品の買い上げには、ほとんど贈賄行為が伴うているということである。海軍のみならず、陸軍にもまたその事が多く行われているということである。甚だしきはその買い上げられた品物が、表面の価格よりは実質がすこぶる劣って、どこかに完備を欠いている所の脆弱のものである、というような疑惑を蒙るは何事であるか。実に嘆かわしい次第ではないか。大学に「一人貪戻なれば、一国乱をなす」という語がある。これは何も貪欲とか収賄とかいうことを意味しているのではないが、収賄貪欲という底の人の些細な私曲から、ひいては天下を聳動するような大事に立ち至るということは、実に恐ろしい事と言わねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例概して御用商人といえば、とかく世間では何か罪悪を含みいるもののごとく、悪感情をもって迎え、あれは御用商人であるという、その語には嫌な響きを持っている。私どもも御用商人と指し呼ばれたらば、甚だ心持ちが善くない。すなわち御用商人といえば、金の力をもって権勢に媚びる者、そして廉潔実直の事のみをしておられぬ性質の業体の者だというように一般の人に見なされているのは甚だ心外なことである。しかしながら海外のその道の者でも、また内地のその道の者でも、私どもの見る所では皆相当の資力ある人であって、よく道理をわきまえている。面目を重んじ信用を大切にする。かように自ら省みる底の人であれば、必ず是非善悪の判断に迷わぬ訳であるから、少々官府の人からいかがわしい申出でがあったからとて、おいそれとすぐに応諾はなさないかと思われる。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例以前私はかような不正な贈賄をなす実業家は、海外にはありもしようが、我が日本にはあるまいと思っていたが、いやしくも海外のそれに紛らわしい者が我が実業家中にもあるというのでは、甚だもって遺憾に堪えない。それかあらぬかついに三井会社の人までも、その嫌疑の下に検挙されたのは、甚だもって痛心の至りである。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望か自分の説に対して平和協会のボール氏とか、井上博士、塩沢博士、中島力造博士、菊池大麓男などは、全然帰一とまでは行かないにしても、必ずある程度までは帰一し得らるべきものである。世の中の物事が、時としては横道に外れるようなこともあるが、それはその事物が悪いので、そのために真理は少しもくらまされるものではない。昔はこうであったとか、こういう理論もあるとか言われて、仁義道徳と生産殖利とは必ず一致すべきもの、また一致せなければ真正の富を造り成し、これを永久に捕捉することの出来ないものであるということは、たいていの議論が帰着しようと思うと言っておられる。もし果たしてこういう論旨が十分に徹底して、世の中に鼓吹せられ、生産殖利は必ず仁義道徳によらねばならぬ、という観念が打成されたならば、仁義道徳に欠ける行為はおのずから止むに至るであろう。例えば、御用物品の買い上げに従う職司の人も、賄賂は仁義道徳に背くと心付けば、とても賄賂を収め得るものでない。御用商人の側から言うても、仁義道徳に背戻すると思えば、賄賂を行うことは出来まい。
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『論語と算盤』理想と迷信・これは果して絶望かこの関係を押し進めて政治にせよ、法律にせよ、軍事にせよ、あらゆる事柄をこの仁義道徳に一致させなければいけない。一方は仁義道徳に従って正しき商売の道を踏んでも、一方が賄賂を要請するというような片足ではいけない。世の中のことはほとんど車を回すようなもので、お互いに仁義道徳を守って行かなければ、必ずどこかに扞格を生ずるのであるから、一切の事柄をして仁義道徳に合致せしむるよう、相互に努めなければならぬ。この主義を十分に拡大して広く社会に行うならば、賄賂などというような、忌まわしいことは自ずと止むに至るであろう。
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