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論語と算盤 / 仁義と富貴・金力悪用の実例

或は取扱上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、極く軽微な何等かのことはあるかも知れないけれども、曩に発現した海軍収賄事件のやうな大仕掛の罪悪は、苟くも双方悪い考が一致しなければ出来ぬ筈である、よし一方から賄賂を贈つて来ても、一方が是を受けぬと云へば仕方がない、又役人に不心得な者があつて、婉曲に或は露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思ふ者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である、已むを得ずば其の取引を断つても、そんな罪悪は成立せぬやうにすることが出来る筈である、私共は爾かあるべきものと確く信じて居る。

書き下し

あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。

現代語訳

取り扱い上の面倒があるので、正当な売買のほかに、ごく軽い何かがあることはあるかもしれない。けれども、先ごろ明るみに出た海軍収賄事件のような大がかりな罪悪は、かりにも双方の悪い考えが一致しなければ起こりえないはずである。たとえ一方から賄賂を贈ってきても、もう一方が受け取らないと言えばそれまでである。また役人の中に心得違いの者がいて、遠回しに、あるいは露骨に贈賄を促したとしても、御用商人である実業家が自分の良心に照らして面目と信用を大切に思う者であれば、必ずそんな要請には応じないはずである。やむを得なければその取引を断ってでも、そうした罪悪が成り立たないようにできるはずである。私たちは、そうあるべきものだと固く信じている。

解説

贈収賄は一人ではできない、という当たり前の構造から渋沢は論を立てる。贈る側と受け取る側、双方の悪い考えが一致したときにだけ成立する。だから片方が断れば、それで止まる。役人から露骨に促されても、面目と信用を重んじる実業家なら応じないはずで、最悪の場合は取引そのものを断ればよい、とまで言い切る。第一国立銀行を率い、五百余の会社に関わった渋沢は、官の発注に頼る事業がどれほど多いかを誰よりも知っていた。そのうえで「取引を断っても」と書くのは軽い言葉ではない。一方で、正当な売買の外に「極く軽微な何等かのこと」があるかもしれない、と現実も認めている。完全な潔白を建前に掲げるより、大きな罪悪を成り立たせない一線をどこに引くかを問う、実務家の言い方である。今日のコンプライアンスでも、最後の防波堤は、取引を失ってでも断るという個人の覚悟であろう。

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