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論語と算盤 / 仁義と富貴・金力悪用の実例

然るに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、其の納入に就て贈賄が行はれたといふのである、又単り「シーメンス」会社にのみ其様な事があつたと云ふのでは無い、凡そ主なる物品の買上げには、殆んど贈賄行為が伴うて居るといふことである、海軍のみならず、陸軍にも亦その事が多く行はれて居るといふことである、甚しきは其の買上げられた品物が、表面の価格よりは実質が頗る劣つて、何所かに完備を欠いてる所の脆弱のものである、と云ふやうな疑惑を蒙むるは何事であるか、実に慨はしい次第ではないか、大学に『一人貪戻なれば、一国乱を作す』といふ語がある、是は何も貪欲とか収賄とかいふことを意味してるのでは無いが、収賄貪慾といふ底の人の些細な私曲から、延いては天下を聳動するやうな大事に立ち至るといふことは、実に恐ろしい事と謂はねばならぬ。

書き下し

しかるに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、その納入について贈賄が行われたというのである。またひとり「シーメンス」会社にのみそのような事があったというのではない。およそ主なる物品の買い上げには、ほとんど贈賄行為が伴うているということである。海軍のみならず、陸軍にもまたその事が多く行われているということである。甚だしきはその買い上げられた品物が、表面の価格よりは実質がすこぶる劣って、どこかに完備を欠いている所の脆弱のものである、というような疑惑を蒙るは何事であるか。実に嘆かわしい次第ではないか。大学に「一人貪戻なれば、一国乱をなす」という語がある。これは何も貪欲とか収賄とかいうことを意味しているのではないが、収賄貪欲という底の人の些細な私曲から、ひいては天下を聳動するような大事に立ち至るということは、実に恐ろしい事と言わねばならぬ。

現代語訳

ところが海軍収賄事件の事実に照らしてみると、軍艦であるとか軍需品であるとか、その納入について贈賄が行われたというのである。しかもシーメンス社(ドイツの電機会社)だけにそういう事があったというのではない。およそ主な物品の買い上げには、ほとんど贈賄行為が伴っているということである。海軍だけでなく、陸軍でもそういう事が多く行われているという。はなはだしいのは、買い上げられた品物が表向きの価格よりも実質がひどく劣り、どこかに欠陥のある脆いものだという疑いをかけられていることで、これはいったい何事か。実に嘆かわしい次第ではないか。『大学』に「一人が貪欲で道理に背けば、一国が乱れる」という言葉がある。これはなにも貪欲や収賄のことを言っているのではないが、収賄や貪欲といった類の人のささいな私心の曲がりから、ついには天下を揺るがすような大事に至るということは、実に恐ろしいことと言わなければならない。

解説

ここで渋沢は事件の広がりに目を向ける。シーメンス社だけの問題ではなく、主な物品の買い上げにはほとんど贈賄が伴い、海軍だけでなく陸軍にも及んでいると聞く。しかも賄賂の分だけ品物の質が落ち、表向きの価格に見合わない脆い品が納められているという疑いまである。賄賂は倫理の問題である以前に、国の守りを弱くする実害だ、と彼は見ている。引かれる『大学』の「一人貪戻なれば、一国乱を作す」は、本来は君主一人の貪りが国全体を乱すという治国の教えである。渋沢自身、これは収賄を指した言葉ではないと断ったうえで、一人の小さな私心の曲がりが天下を揺るがす大事に至るという構造を借りている。古典を字句どおりにではなく、その骨組みで読む渋沢の読み方がよく出ている。組織の不正も、多くは一人の小さな妥協から始まり、品質や安全という目に見える損害となって返ってくる。

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