論語と算盤 / 仁義と富貴・罪は金銭にあらず
昔は東洋ばかりでなく、西洋も一体に金銭を卑しむ風習が極端に行はれたやうであるが、是は経済に関することは、得失といふ点が先に立つものであるから、或る場合には謙譲とか清廉とか言ふ美徳を傷けるやうに観えるので、常人は時としては過失に陥り易いから、強く之を警戒する心懸けより、斯る教を説く人もありて、自然と一般に風習となつたものであらうと思ふ。
書き下し
昔は東洋ばかりでなく、西洋も一体に金銭を卑しむ風習が極端に行われたようであるが、これは経済に関することは、得失という点が先に立つものであるから、ある場合には謙譲とか清廉とかいう美徳を傷つけるように観えるので、常人は時としては過失に陥りやすいから、強くこれを警戒する心懸けより、かかる教えを説く人もありて、自然と一般に風習となったものであろうと思う。
現代語訳
昔は東洋だけでなく、西洋でも全体に金銭を卑しむ風習が極端に行われたようであるが、これは、経済に関することでは損得という点が先に立つので、ある場合には謙譲とか清廉とかいう美徳を傷つけるように見え、普通の人は時として過ちに陥りやすいから、それを強く警戒する心がけから、こうした教えを説く人も出てきて、自然と一般の風習になったものであろうと思う。
解説
金銭を卑しむ風習は東洋だけのものではない、と渋沢は視野を広げる。中世ヨーロッパでもキリスト教会は利子の取得を戒め、商業を魂を危うくする営みと見る傾向があったことはよく知られている。渋沢はその理由を、経済では損得が先に立つため、謙譲や清廉といった美徳を傷つけるように見えることに求める。普通の人は損得の場面で過ちを犯しやすい。それを強く警戒する人々が教えを説き、やがて社会全体の風習になった、という見立てである。ここでも渋沢は、古い教えを愚かなものとして退けてはいない。損得が人を誤らせやすいという観察そのものは正しいと認めている。そのうえで、警戒が風習として固まると、金銭そのものが悪とされるという行き過ぎが起きる、と見ている。前段の、貪欲な世俗の悪弊を矯めようとした結果だという見方を、東西に共通する現象として確かめた段である。損得の場面こそ人格が試されるという認識は、今日の商取引にもそのまま当てはまる。
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずさらにまた「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過を増す」というような意味の言を漢籍の中で読んだこともある。とにかく東洋古来の風習は、一般に金銭を卑しむこと甚だしいもので、君子は近づくべからざるもの、小人には恐るべきものとしたのであるが、畢竟貪婪飽くなき世俗の悪弊を矯めんとして、ついには極端に金銭を卑しむ様になったものと思われる。これらの説は青年諸君は深く注意を払わねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずかつて某新聞紙上にアリストテレスの言として、「すべての商業は罪悪である」という意味の句があったと記憶しているが、随分極端な言い方であると思ったが、なお再考すれば、すべて得失が伴うものには、人もその利慾に迷いやすく、自然仁義の道は外れる場合が生ずるものであるから、それらの弊害を誡むるためかような過激なる言葉を用いたものかと思われる。どうしても人情の弱点として、物質上の事に眼が着きやすく、精神上のことを忘れて物質を過重する弊害の生ずるはやむを得ないことであるが、思想も幼稚であり、道徳上の観念の卑しい者ほど、この弊害に陥りやすいものである。ゆえに昔は全体から観れば、智識も乏しく道義心も浅薄にして、得失のため罪悪に陥る者が多かったのであると思われるので、ことさらに金銭を卑しむ風が高まったのであろう。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずしかし前述のごとく人情の弱点として、利慾の念よりともすれば富を先にして道義を後にする弊を生じ、過重の結果、金銭万能のごとく考えて、大切なる精神上の問題を忘れて、物質の奴隷となりやすいものであるが、かくなりては責めその人にありとは言うものの、金銭の禍を恐れてその価値を卑しく観るようになって、再びアリストテレスの言を繰り返さしむるに至るであろう。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず幸いにして世間一般の進歩とともに金銭上の取り扱いも改まって、利殖と道徳と離れまいとする傾向が増して来た。ことに欧米にては「真正なる富は正当なる活動によって収得せらるべきものである」との観念が着々実行されて来ているが、我が国の青年諸君も深くこの点に注意して、金銭上の禍に陥らず、ますます道義とともに金銭の真価を利用するように勉められんことを望むのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずもちろん金銭は貴いものではあるが、またすこぶる卑しい物である。貴い点より言えば、金銭は労力の代表となり、約束によってたいていの物の代価は、金銭ならでは清算の出来ぬものである。けだしここに金銭というは、ただ金銀貨幣紙幣の類の通貨のみを指すのではなく、総じて代償することの出来る貨財は金銭をもって評することが出来るので、金銭は財産の代称であるとも言い得ると思うのである。かつて昭憲皇太后宮の御歌を拝誦した中に、もつ人の心によりてたからとも仇ともなるは黄金なりけりとあったように記憶しているが、真に適切なる御評で、吾人の感佩服膺すべき名歌であると思う。しかるに昔の支那人の書いたものによると、一体に金銭を卑しむ風が盛んであるように思われる。左伝に「小人玉を抱いて罪あり」とある類から、孟子に陽虎の言として「仁を為せば富まず、富めば仁ならず」とあるがごとき、その一例である。陽虎のごときはもとより敬服すべき人物ではないが、当時にありては知言として一般から認められていたのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず今日の社会状態は、昔よりは智識の発達が著しく進んで、思想感情の高尚な人が多くなった。さらに言い換えれば、一般の人格が高まって来ているのである。ゆえに金銭に対する念慮もよほど進んで来て、立派な手段を用いて収入を図り、善良なる方法をもって使用する人が多くなったので、金銭に対する公平なる見解をなすようになった。
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