論語と算盤 / 仁義と富貴・真正の利殖法
左れば利殖を主義とするか、己れさへ利すれば宜しい、人は構はぬといふ方の主義に基いて遣つて行くか、今いふ隣国の或る一部分、元の当時の有様はそれである、人は構はぬ己れさへ宜ければ良い、国家は構はぬ、自己さへ宜ければ良い、其の極国家は如何なる権利を失ひ、如何なる名声を落すとも、個人の発達を考へて国家を顧みる人は、殆んど稀だといふ有様である、宋の時代には前述の道徳仁義に付て国を亡ぼしたし、今日は又利己主義に於て身を危うすると云はねばならぬのである、是は独り吾が隣国ばかりでない、他の国々も皆同一であつて、詰り利を図ると云ふこと〻、仁義道徳たる所の道理を重んずるといふ事は、並び立つて相異ならん程度に於て始めて国家は健全に発達し、個人は各〻其の宜しきを得て富んで行くと云ふものになるのである。
書き下し
されば利殖を主義とするか、己れさえ利すればよろしい、人は構わぬという方の主義に基づいてやって行くか、今いう隣国のある一部分、元の当時の有様はそれである。人は構わぬ己れさえよければよい、国家は構わぬ、自己さえよければよい、その極国家はいかなる権利を失い、いかなる名声を落とすとも、個人の発達を考えて国家を顧みる人は、ほとんど稀だという有様である。宋の時代には前述の道徳仁義について国を亡ぼしたし、今日はまた利己主義において身を危うすると言わねばならぬのである。これは独り我が隣国ばかりでない、他の国々も皆同一であって、つまり利を図るということと、仁義道徳たる所の道理を重んずるという事は、並び立って相異ならん程度において始めて国家は健全に発達し、個人はおのおのその宜しきを得て富んで行くというものになるのである。
現代語訳
そうであれば、利殖を主義とするか、あるいは自分さえ利すればよい、他人は構わないという主義に基づいてやっていくか。今言った隣国の一部、元の時代の有様がそれである。他人は構わない、自分さえよければよい、国家は構わない、自分さえよければよい。その果てに国家がどんな権利を失い、どんな名声を落とそうとも、個人の発達だけを考えて国家を顧みる人はほとんどまれだ、という有様である。宋の時代には前に述べたように道徳仁義によって国を滅ぼしたし、今日はまた利己主義によって身を危うくしていると言わねばならない。これはわが隣国ばかりのことではない。他の国々もみな同じであって、つまり利を図ることと、仁義道徳という道理を重んじることとが、並び立って互いに食い違わない程度になってはじめて、国家は健全に発達し、個人もそれぞれ適切な所を得て富んでいく、ということになるのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法かく言えば、とかく利殖を薄うして人慾を去るとか、普通外に立つというような考えに悪くすると走るのである。その思いやりを強く、世の中の得を思うことはよろしいが、己れ自身の利慾によって働くは俗である。仁義道徳に欠けると、世の中の仕事というものは、段々衰微してしまうのである。学者めいたことを言うようであるが、支那の学問に、ことに千年ばかり昔になるが、宋時代の学者が最も今のような径路を経ている。仁義道徳ということを唱えるにつきては、かかる順序からかく進歩するものであるという考えを打ち棄てて、すべて空理空論に走るから、利慾を去ったらよろしいが、その極その人も衰え、従って国家も衰弱に陥った。その末はついに元に攻められ、さらに禍乱が続いて、とうとう元という夷に一統されてしまったのは宋末の惨状である。ただとかくは空理空論なる仁義というものは、国の元気を沮喪し、物の生産力を薄くし、ついにその極国を滅亡する。ゆえに仁義道徳も悪くすると、亡国になるということを考えなければならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
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『論語と算盤』人格と修養・権威ある人格養成法世界列強国がいずれも宗教を有して道徳律の樹立されているのに比し、独り我が国のみがこの有様では、大国民としてはなはだ恥ずかしい次第ではないか。試みに社会の現象を見よ。人は往々にして利己主義の極端に馳せ、利のためには何事も忍んで為すの傾きがあり、今では国家を富強にせんとするよりも、むしろ自己を富裕にせんとする方が主となっている。富むこともとより大切なことで、何も好んで簞食瓢飲陋巷にあってその楽しみを改めぬということを最上策とするには及ばない。孔子が「賢なるかな回や」と、顔淵の清貧に安んじているのを褒められた言葉は、要するに「不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし」という言葉の裏面を言われたまでで、富は必ずしも悪いと貶めたものではない。しかしながらただ一身さえ富めば足るとして、さらに国家社会を眼中に置かぬというは慨すべき極みである。説は富の講釈に入ったが、何にせよ社会人心の帰向がそういう風になったのは、概して社会一般人士の間に人格の修養が欠けているからである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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