講孟余話 / 盡心下 第二十八章
六韜ニ大農大工大匠、謂之三宝、易ニ聖人之大宝曰位、詩ニ稼穡惟宝、書ニ所宝惟賢、大学ニ惟善以爲宝、又仁親以爲宝ト云、皆其意ノ屬スル所深ケレトモ、各其一偏ヲ說クノミニテ、孟子ノ此章ノ明備ナル如キ者ナシ、盖シ土地ハ人民政事ノ基也、若シ土地ナクンハ、人民アリト云ヘトモ居ルヘキ所ナシ、何ソ况ヤ政事ヲ施ス所アランヤ、已ニ土地アリテ人民ナクンハ、漠々タル沙磧、何ノ用カアラン、土地人民アリト雖トモ、政事ナクンハ、草木榛々、鹿家狉々、何ソ其人倫アルヲ見ン、故ニ三者一モ闕クコトアラハ、宀玉缶貝アリト云トモ、安ンソ能ク是ヲ寶トセンヤ、若シ三者兼備ラハ、宀玉缶貝亦何ヲ求メテカ得サラン、然トモ諸侯ニ在テハ、土地人民已ニ其固有ノ物タリ、政事ハ今日ノ勤ムヘキ所、三者相比スル豈不倫ニ非スヤ、云ク否、政事ハ固ヨリ今日ノ勤ムヘキ所ト云ヘトモ、亦祖宗ヨリ創業垂統スル所也、土地人民モ同シク祖宗ヨリ傳フル所ナレハ、子孫トシテ保守護持スルコトハ、三者同シキコト也、六國地ヲ割テ秦ニ賂フカ如キ、三者ヲ守ルコト能ハサルノ甚シキ也、
新字:六韜ニ大農大工大匠、謂之三宝、易ニ聖人之大宝曰位、詩ニ稼穡惟宝、書ニ所宝惟賢、大学ニ惟善以為宝、又仁親以為宝ト云、皆其意ノ属スル所深ケレトモ、各其一偏ヲ説クノミニテ、孟子ノ此章ノ明備ナル如キ者ナシ、盖シ土地ハ人民政事ノ基也、若シ土地ナクンハ、人民アリト云ヘトモ居ルヘキ所ナシ、何ソ況ヤ政事ヲ施ス所アランヤ、已ニ土地アリテ人民ナクンハ、漠々タル沙磧、何ノ用カアラン、土地人民アリト雖トモ、政事ナクンハ、草木榛々、鹿家狉々、何ソ其人倫アルヲ見ン、故ニ三者一モ闕クコトアラハ、宀玉缶貝アリト云トモ、安ンソ能ク是ヲ宝トセンヤ、若シ三者兼備ラハ、宀玉缶貝亦何ヲ求メテカ得サラン、然トモ諸侯ニ在テハ、土地人民已ニ其固有ノ物タリ、政事ハ今日ノ勤ムヘキ所、三者相比スル豈不倫ニ非スヤ、云ク否、政事ハ固ヨリ今日ノ勤ムヘキ所ト云ヘトモ、亦祖宗ヨリ創業垂統スル所也、土地人民モ同シク祖宗ヨリ伝フル所ナレハ、子孫トシテ保守護持スルコトハ、三者同シキコト也、六国地ヲ割テ秦ニ賂フカ如キ、三者ヲ守ルコト能ハサルノ甚シキ也、
書き下し
六韜に「大農・大工・大匠、之れを三宝と謂ふ」、易に「聖人の大宝を位と曰ふ」、詩に「稼穡惟れ宝」、書に「宝とする所は惟れ賢」、大学に「惟だ善以て宝と為す」、又「親を仁しむを以て宝と為す」と云ふ。皆其の意の属する所深けれども、各々其の一偏を説くのみにて、孟子の此の章の明備なる如き者なし。蓋し土地は人民・政事の基なり。若し土地なくんば、人民ありと云へども居るべき所なし、何ぞ況んや政事を施す所あらんや。已に土地ありて人民なくんば、漠々たる沙磧、何の用かあらん。土地人民ありと雖も、政事なくんば、草木榛々、鹿豕狉々、何ぞ其の人倫あるを見ん。故に三者一も闕くことあらば、宀・玉・缶・貝ありと云ふとも、安んぞ能く是れを宝とせんや。若し三者兼ね備はらば、宀・玉・缶・貝亦何を求めてか得ざらん。然れども諸侯に在りては、土地人民已に其の固有の物たり、政事は今日の勤むべき所、三者相比するは豈に不倫に非ずや。云く否、政事は固より今日の勤むべき所と云へども、亦祖宗より創業垂統する所なり。土地人民も同じく祖宗より伝ふる所なれば、子孫として保守護持することは、三者同じきことなり。六国地を割きて秦に賂ふが如き、三者を守ること能はざるの甚しきなり。
現代語訳
『六韜』に「大農・大工・大匠を三宝という」、『易経』に「聖人の大きな宝は位である」、『詩経』に「農業こそ宝」、『書経』に「宝とすべきはただ賢者」、『大学』に「ただ善を宝とする」、また「親族を愛することを宝とする」とある。どれも意味するところは深いが、それぞれ一面を説くだけで、孟子のこの章ほど明らかで行き届いたものはない。思うに、土地は人民と政事の基である。土地がなければ、人民がいても住む所がない。まして政治を行う所などあるはずがない。土地があっても人民がいなければ、果てしない砂漠と同じで何の役にも立たない。土地と人民があっても政治がなければ、草木が生い茂り、鹿や猪がうろつくばかりで、人の道がどこに見られよう。だから三つのうち一つでも欠ければ、家や玉や器や貨幣があっても、どうしてそれを宝とできようか。三つがそろっていれば、家も玉も器も貨幣も、求めて得られないものはない。しかし諸侯にとって、土地と人民はすでに持っているものであり、政治は今日つとめるべきもので、三つを並べるのは不釣り合いではないか、と問う人もあろう。そうではない。政治はもとより今日つとめるべきものだが、これもまた先祖が事業を起こして子孫に伝えたものである。土地と人民も同じく先祖から伝えられたものだから、子孫として守り保つ点では三つとも同じである。戦国の六国が土地を割いて秦に贈ったのは、三つを守れなかったことの最たるものである。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・一国を全体の一物とみなして一国の有様をもって論ずるもまたかくのごとし。譬えばここに一政府あらん。賢良方正の士を挙げて政を任し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行なわれざるところなく、万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇るべきに似たり。然りといえども、その賞罰と言い、恩威といい、万民といい、太平というも、悉皆一国内の事なり、一人あるいは数人の意に成りたるものなり。その得失はその国の前代に比較するか、または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、けっしてその国悉皆の有様を詳らかにして他国と相対し、一より十に至るまで比較したるものにあらず。もし一国を全体の一物とみなして他の文明の一国に比較し、数十年の間に行なわるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、その実際に見われたるところの損益を論ずることあらば、その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。
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