武士道 / 第九章 忠節・一日の徳は一日にて足れり
ソクラテスは律法(又は國家)を3号マノして語らしめて曰く、『汝は我が下に生れ、育はれ、教へられ〓たたもものなるに、汝焉ぞ、汝も亦た汝の祖先も我が所生たり、我が臣僕たるに非らずと云ふを敢てせんや』と。吾人は此語を聞いて曾て異常の感を爲さず。盖し斯の如きは古へより武士道の唇頭に上りたるの語にして、唯だ彼に在りて律法と云ひ、國家と云へるもの我に在りては、形を異にして人格を云ふの差ありしのみ。忠節とは、此政治理論の產みたる倫理なり。予も亦たスベンサー氏が政治上の服從即ち忠節は、過渡的作用を賦與せられたるものなりとの說を耳にせざるに非らず。夫れ或は然らむ。されど一日の德は一日にて足れり。吾人は此語を反覆して、自から歡びとせん。况んや、其の一日とは、我國歌の所謂、『さゞれ石の巖となりて、苔のむすまで』の長き歲月を云ふものなるを信ずるをや。
新字:ソクラテスは律法(又は国家)を3号マノして語らしめて曰く、『汝は我が下に生れ、育はれ、教へられ〓たたもものなるに、汝焉ぞ、汝も亦た汝の祖先も我が所生たり、我が臣僕たるに非らずと云ふを敢てせんや』と。吾人は此語を聞いて曽て異常の感を為さず。盖し斯の如きは古へより武士道の唇頭に上りたるの語にして、唯だ彼に在りて律法と云ひ、国家と云へるもの我に在りては、形を異にして人格を云ふの差ありしのみ。忠節とは、此政治理論の産みたる倫理なり。予も亦たスベンサー氏が政治上の服従即ち忠節は、過渡的作用を賦与せられたるものなりとの説を耳にせざるに非らず。夫れ或は然らむ。されど一日の徳は一日にて足れり。吾人は此語を反覆して、自から歓びとせん。況んや、其の一日とは、我国歌の所謂、『さゞれ石の巖となりて、苔のむすまで』の長き歳月を云ふものなるを信ずるをや。
書き下し
ソクラテスは律法(又は国家)を擬人して語らしめて曰く、『汝は我が下に生れ、育はれ、教へられたるものなるに、汝焉ぞ、汝も亦た汝の祖先も我が所生たり、我が臣僕たるに非らずと云ふを敢てせんや』と。吾人は此語を聞いて、かつて異常の感を為さず。けだし斯の如きは古へより武士道の唇頭に上りたるの語にして、唯だ彼に在りて律法と云ひ、国家と云へるもの、我に在りては、形を異にして人格を云ふの差ありしのみ。忠節とは、此政治理論の産みたる倫理なり。予も亦たスペンサー氏が、政治上の服従即ち忠節は、過渡的作用を賦与せられたるものなりとの説を耳にせざるに非らず。夫れ或は然らん。されど一日の徳は一日にて足れり。吾人は此語を反覆して、自から歓びとせん。況んや、其の一日とは、我国歌の所謂、『さざれ石の巌となりて、苔のむすまで』の長き歳月を云ふものなるを信ずるをや。
現代語訳
ソクラテスは法(あるいは国家)を人に見立てて語らせ、こう言わせた。「おまえは私のもとに生まれ、養われ、教育されたものである。それなのにおまえは、自分も自分の祖先も私から生まれたのではなく、私の臣下ではない、などとどうしてあえて言えるのか」と。われわれはこの言葉を聞いても、少しも奇異な感じを受けない。思うに、このようなことは昔から武士道の口にのぼっていた言葉であって、ただ、あちらで法とか国家とか言っているものが、こちらでは形を変えて人格(主君という人)を指している、という違いがあるだけである。忠節とは、この政治理論が生んだ倫理なのである。私もまた、スペンサー氏(英国の哲学者)の、政治上の服従すなわち忠節は、過渡的な役割を与えられたものにすぎない、という説を聞いていないわけではない。あるいはそうかもしれない。しかし「一日の苦労は一日にて足れり」である。われわれはこの言葉を繰り返して、自ら喜びとしよう。まして、その一日とは、わが国歌にいう「さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」という長い年月を指すものだと信じているのだから、なおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・一国を全体の一物とみなして一国の有様をもって論ずるもまたかくのごとし。譬えばここに一政府あらん。賢良方正の士を挙げて政を任し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行なわれざるところなく、万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇るべきに似たり。然りといえども、その賞罰と言い、恩威といい、万民といい、太平というも、悉皆一国内の事なり、一人あるいは数人の意に成りたるものなり。その得失はその国の前代に比較するか、または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、けっしてその国悉皆の有様を詳らかにして他国と相対し、一より十に至るまで比較したるものにあらず。もし一国を全体の一物とみなして他の文明の一国に比較し、数十年の間に行なわるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、その実際に見われたるところの損益を論ずることあらば、その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。
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『武士道』第九章 忠節・寡婦ウインダムと武士の母チャールス一世の清教徒と戦ひて敗るるや、名臣ウインダム之に死し、其三子亦た斃る。人あり其寡婦の為に愀然之に哭せしに、容を正し答へて云ひけるは、吾が一門の王に奉ずるに於て、三児豈に惜しむに足らんや、若しなほ他児あらんには、之をも挙げて、我王に献ぜんものをと云ひしとぞ。而して我国武士の母たるもの、多くは寡婦ウインダムの(概)あり、忠節を尽くさんが為には、其愛児を殺して、君主に奉ずるに、毫も躊躇すること無かりき。武士道はアリストートル若くは近世二三の社会論者と等しく、国家は人に先んじて存在し、人は国家の中に生れたるものなりとの観念を有するが故に、人は国家の為、若くは其権能を正当に掌握代表する者の為に生死せざるべからずとせり。『クリトン』の読者は記せん、獄裡のソクラテスが其遁走の問題を捉へて、雅典の律法と議論を上下するに擬したるの語あることを。
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『後世への最大遺物』第二回・裏店に住んだ病身の学者イギリスに今からして二百年前に、痩せっこけて丈の低い、しじゅう病身な一人の学者がおった。それでこの人は世の中の人に知られないで、何も用のない者と思われて、しじゅう貧乏して裏店のようなところに住まって、かの人は何をするかと人にいわれるくらい世の中に知れない人で、何もできないような人であったが、しかし彼は一つの大思想を持っていた人でありました。その思想というは、人間というものは非常な価値のあるものである、また一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っていた人であります。それで十七世紀の中ごろにおいては、その説は社会にまったく容れられなかった。その時分にはヨーロッパでは主義は国家主義と定まっておった。
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