論語と算盤 / 仁義と富貴・真正の利殖法
此く言へば、兎角利殖を薄うして人慾を去るとか、普通外に立つと云ふやうな考へに悪くすると走るのである、其の思ひやりを強く、世の中の得を思ふことは宜しいが、己れ自身の利慾に依つて働くは俗である、仁義道徳に欠けると、世の中の仕事といふものは、段々衰微して仕舞ふのである。学者めいたことを言ふやうであるが、支那の学問に、殊に千年ばかり昔になるが、宋時代の学者が最も今のやうな径路を経て居る、仁義道徳といふことを唱へるに付きては、斯かる順序から此く進歩するものであると云ふ考へを打棄て〻、総て空理空論に走るから、利慾を去つたら宜しいが、其の極其の人も衰へ、従つて国家も衰弱に陥つた、其の末は遂に元に攻められ、更に禍乱が続いて、とう〳〵元と云ふ夷に一統されて仕舞つたのは宋末の惨状である、唯兎角は空理空論なる仁義といふものは、国の元気を沮喪し、物の生産力を薄くし、遂に其の極国を滅亡する、故に仁義道徳も悪くすると、亡国になると云ふことを考へなければならぬ、
書き下し
かく言えば、とかく利殖を薄うして人慾を去るとか、普通外に立つというような考えに悪くすると走るのである。その思いやりを強く、世の中の得を思うことはよろしいが、己れ自身の利慾によって働くは俗である。仁義道徳に欠けると、世の中の仕事というものは、段々衰微してしまうのである。学者めいたことを言うようであるが、支那の学問に、ことに千年ばかり昔になるが、宋時代の学者が最も今のような径路を経ている。仁義道徳ということを唱えるにつきては、かかる順序からかく進歩するものであるという考えを打ち棄てて、すべて空理空論に走るから、利慾を去ったらよろしいが、その極その人も衰え、従って国家も衰弱に陥った。その末はついに元に攻められ、さらに禍乱が続いて、とうとう元という夷に一統されてしまったのは宋末の惨状である。ただとかくは空理空論なる仁義というものは、国の元気を沮喪し、物の生産力を薄くし、ついにその極国を滅亡する。ゆえに仁義道徳も悪くすると、亡国になるということを考えなければならぬ。
現代語訳
こう言うと、とかく利殖を薄くして人欲を捨てるとか、世間の外に立つとかいうような考えに、悪くすると走ってしまうのである。思いやりを強くして世の中の得を思うことはよい。自分自身の利欲によって働くのは俗である。そして仁義道徳が欠けると、世の中の仕事というものはだんだん衰えてしまう。学者めいたことを言うようだが、中国の学問で、とりわけ千年ほど前になるが、宋の時代の学者がちょうど今言ったような道筋をたどっている。仁義道徳を唱えるにあたって、物事はこういう順序でこう進歩するものだという考えを捨ててしまい、すべて空理空論に走ったから、利欲を去ったのはよいとしても、その結果、その人自身も衰え、したがって国家も衰弱に陥った。その果てには元に攻められ、さらに戦乱が続いて、とうとう元という異民族に統一されてしまったのが、宋末の惨状である。とにかく空理空論の仁義というものは、国の元気をくじき、物の生産力を弱め、ついにはその果てに国を滅ぼす。だから仁義道徳も、悪くすると亡国につながるということを考えなければならない。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法されば利殖を主義とするか、己れさえ利すればよろしい、人は構わぬという方の主義に基づいてやって行くか、今いう隣国のある一部分、元の当時の有様はそれである。人は構わぬ己れさえよければよい、国家は構わぬ、自己さえよければよい、その極国家はいかなる権利を失い、いかなる名声を落とすとも、個人の発達を考えて国家を顧みる人は、ほとんど稀だという有様である。宋の時代には前述の道徳仁義について国を亡ぼしたし、今日はまた利己主義において身を危うすると言わねばならぬのである。これは独り我が隣国ばかりでない、他の国々も皆同一であって、つまり利を図るということと、仁義道徳たる所の道理を重んずるという事は、並び立って相異ならん程度において始めて国家は健全に発達し、個人はおのおのその宜しきを得て富んで行くというものになるのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ後世儒者のその意を誤り伝えられた一例を挙ぐれば、宋の大儒たる朱子が、孟子の序に「計を用い数を用うるは、たとい功業を立て得るも、ただこれ人欲の私にして、聖賢の作処とは天地懸隔す」と説き、貨殖功利のことを貶している。その言葉を押し進めて考えてみれば、かのアリストートルの「すべての商業は罪悪なり」と言える言葉に一致する。これを別様の意味から言えば、仁義道徳は仙人じみた人の行うべきことであって、利用厚生に身を投ずるものは仁義道徳を外にしても構わぬというに帰着するのである。かくのごときは決して孔孟教の骨髄ではなく、かの閩洛派の儒者によって捏造された妄説にほかならぬ。しかるに我が国では元和寛永の頃よりこの学説が盛んに行われ、学問といえばこの学説よりほかにはないというまでに至った。そしてこの学説は今日の社会にいかなる余弊をもたらしているのであろうか。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』理想と迷信・廓清の急務なる所以旧に復って、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人はなるたけ制限して、ごく小さい範囲に棲息せしむるようにして行ったならば、その弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まってしまう。そこであくまで富を進め、富を擁護しつつ、その間に罪悪の伴わぬ神聖な富を作ろうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ。それはすなわち私が常に言っている所の仁義道徳である。仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明らかにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、あえて相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。その方法として日常の事につき、かかる商売にはかくかく、かかる事業にはかくかくとここに詳述は出来ないが、
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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