武士道 / 第九章 忠節・寡婦ウインダムと武士の母
チヤールス一世の清教徒と戰ひて敗るゝや、名臣ウインダム之に死し、其三子亦た斃る。人あり其寡婦の爲に愀然之に哭せしに、容を正し答へて云ひけるは、吾が一門の王に奉ずるに於て、三兒豈に惜しむに足らむや、若し尙ほ他兒あらんには、之をも擧げて、我王に献ぜんものをと云ひしとぞ。而して我國武士の母たるもの、多くは寡婦〓ウインダムの〓あり、忠節を盡くさんが爲には、其愛兒を殺して、君主に奉ずるに、毫も躊躇すること無かりき。中中止ま全身やの久享「此土運はアリストートト若若くは近世二三の社會論者とら者等しく、國家は人に先んじて存在し、人は國家の中に生れたー。るものなりとの觀念を有するが故に、人は國家の爲、若くはん古そi其權能を正當に掌握代表する者の爲に生死せざるべからずとせり。『クリトー』の讀者は記せん、獄裡のソクラテスが其遁走の問題を捉へて、雅典の律法と議論を上下するに擬したるの語あることを。
新字:チヤールス一世の清教徒と戦ひて敗るゝや、名臣ウインダム之に死し、其三子亦た斃る。人あり其寡婦の為に愀然之に哭せしに、容を正し答へて云ひけるは、吾が一門の王に奉ずるに於て、三児豈に惜しむに足らむや、若し尚ほ他児あらんには、之をも挙げて、我王に献ぜんものをと云ひしとぞ。而して我国武士の母たるもの、多くは寡婦〓ウインダムの〓あり、忠節を尽くさんが為には、其愛児を殺して、君主に奉ずるに、毫も躊躇すること無かりき。中中止ま全身やの久享「此土運はアリストートト若若くは近世二三の社会論者とら者等しく、国家は人に先んじて存在し、人は国家の中に生れたー。るものなりとの観念を有するが故に、人は国家の為、若くはん古そi其権能を正当に掌握代表する者の為に生死せざるべからずとせり。『クリトー』の読者は記せん、獄裡のソクラテスが其遁走の問題を捉へて、雅典の律法と議論を上下するに擬したるの語あることを。
書き下し
チャールス一世の清教徒と戦ひて敗るるや、名臣ウインダム之に死し、其三子亦た斃る。人あり其寡婦の為に愀然之に哭せしに、容を正し答へて云ひけるは、吾が一門の王に奉ずるに於て、三児豈に惜しむに足らんや、若しなほ他児あらんには、之をも挙げて、我王に献ぜんものをと云ひしとぞ。而して我国武士の母たるもの、多くは寡婦ウインダムの(概)あり、忠節を尽くさんが為には、其愛児を殺して、君主に奉ずるに、毫も躊躇すること無かりき。武士道はアリストートル若くは近世二三の社会論者と等しく、国家は人に先んじて存在し、人は国家の中に生れたるものなりとの観念を有するが故に、人は国家の為、若くは其権能を正当に掌握代表する者の為に生死せざるべからずとせり。『クリトン』の読者は記せん、獄裡のソクラテスが其遁走の問題を捉へて、雅典の律法と議論を上下するに擬したるの語あることを。
現代語訳
チャールズ一世(英国王)が清教徒と戦って敗れたとき、忠臣ウィンダムはその戦いで死に、三人の息子もまた倒れた。ある人がその未亡人のために心を痛めて泣いたところ、夫人は居住まいを正してこう答えたという。「わが一門が王にお仕えするのに、三人の子などどうして惜しむに足りましょう。もしまだほかに子がいたなら、それもみな我が王に献げたいものを」。そしてわが国の武士の母たちの多くは、この未亡人ウィンダムの(面影)があり、忠節を尽くすためには、愛する子を殺して主君に献げることにも、少しもためらわなかった。武士道は、アリストテレスや近代の二、三の社会学者と同じく、国家は個人に先立って存在し、人は国家の中に生まれたものだという観念をもっていたので、人は国家のため、あるいはその権能を正当に握って代表する者のために、生き死なねばならないとした。『クリトン』(プラトンの対話篇)の読者は覚えているだろう。獄中のソクラテスが、脱獄の問題を取り上げて、アテナイの法と議論を戦わせる形に見立てた言葉があることを。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・一国を全体の一物とみなして一国の有様をもって論ずるもまたかくのごとし。譬えばここに一政府あらん。賢良方正の士を挙げて政を任し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行なわれざるところなく、万民腹を鼓して太平を謡うがごときは、まことに誇るべきに似たり。然りといえども、その賞罰と言い、恩威といい、万民といい、太平というも、悉皆一国内の事なり、一人あるいは数人の意に成りたるものなり。その得失はその国の前代に比較するか、または他の悪政府に比較して誇るべきのみにて、けっしてその国悉皆の有様を詳らかにして他国と相対し、一より十に至るまで比較したるものにあらず。もし一国を全体の一物とみなして他の文明の一国に比較し、数十年の間に行なわるる双方の得失を察して互いに加減乗除し、その実際に見われたるところの損益を論ずることあらば、その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。
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『武士道』第九章 忠節・一日の徳は一日にて足れりソクラテスは律法(又は国家)を擬人して語らしめて曰く、『汝は我が下に生れ、育はれ、教へられたるものなるに、汝焉ぞ、汝も亦た汝の祖先も我が所生たり、我が臣僕たるに非らずと云ふを敢てせんや』と。吾人は此語を聞いて、かつて異常の感を為さず。けだし斯の如きは古へより武士道の唇頭に上りたるの語にして、唯だ彼に在りて律法と云ひ、国家と云へるもの、我に在りては、形を異にして人格を云ふの差ありしのみ。忠節とは、此政治理論の産みたる倫理なり。予も亦たスペンサー氏が、政治上の服従即ち忠節は、過渡的作用を賦与せられたるものなりとの説を耳にせざるに非らず。夫れ或は然らん。されど一日の徳は一日にて足れり。吾人は此語を反覆して、自から歓びとせん。況んや、其の一日とは、我国歌の所謂、『さざれ石の巌となりて、苔のむすまで』の長き歳月を云ふものなるを信ずるをや。
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孫子・始計篇孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。
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『後世への最大遺物』第二回・裏店に住んだ病身の学者イギリスに今からして二百年前に、痩せっこけて丈の低い、しじゅう病身な一人の学者がおった。それでこの人は世の中の人に知られないで、何も用のない者と思われて、しじゅう貧乏して裏店のようなところに住まって、かの人は何をするかと人にいわれるくらい世の中に知れない人で、何もできないような人であったが、しかし彼は一つの大思想を持っていた人でありました。その思想というは、人間というものは非常な価値のあるものである、また一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っていた人であります。それで十七世紀の中ごろにおいては、その説は社会にまったく容れられなかった。その時分にはヨーロッパでは主義は国家主義と定まっておった。
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『武士道』第九章 忠節・ソクラテスは生きては良心に従うソクラテスは如何。其の誠心に奉ずる忠節の一片だに、之を捨つることを拒否して懼れざりしと共に、又た忠実冷静にして、此世の主たる国家の威命に甘従したるに非ずや。ソクラテスや、生きては其良心に従ひ、死しては其国に仕へたり。ああ、国家の威権いたづらに肆大にして、其民に強ふるに、各自が良心の指命をも、なほ挙げて之に捧ぐべしと命令せん、其日こそ悲しけれ。武士道は、人の良心を以て君主の奴隷たらしむることを誨へず。トマス・モウブレーは、まことに能く吾人の衷情を語るものなり。『畏しや我大君、君のみもとに此身を捧ぐ。臣が生命は仰せのままなり。ただ我が廉恥は然らず。生命を奉ずるは臣の道なり。さあれ、香しき名は、死すとも我が墓に生くれば、君が暗く汚れし業の為とて、などか御心に任すべき』。
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『墨子』大取指を斷つと腕を斷つと、天下を利すること相い若くんば、擇ぶこと無きなり。死と生と利、若ければ、一に擇ぶこと無し。一人を殺して以て天下を存するは、一人を殺して以て天下を利するに非ざるなり。已を殺して以て天下を存するは、是れ己を殺して以て天下を利するなり。事為の中に於いて輕重を權る、之を求と謂う。求は之を為すも非なり。害の中に小を取り、義を為さんことを求むるは、義を為すに非ざるなり。暴人の為に天の是を為すを語らんや。而して性、暴人の為にせば、天の非を為すを歌うなり。諸そ陳執、既に為す所有りて、我れ之を為さば、陳執の執る所の為す所は、吾が為す所に因るなり。若し陳執、未だ為す所有らずして、我れ之を陳執に為さば、陳執は吾が為す所に因るなり。暴人、我が為に、天の人を以てするを為すは、是を為すに非ざるなり。而して性、正す可からずして之を正す。
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