論語と算盤 / 仁義と富貴・真正の利殖法
試みに例へば石油であるとか、若くは製粉であるとか、或は人造肥料であると云ふやうな業務に付て考へて見ても、若し利益を進めるといふ観念がなくて、成行き次第でどうでも宜いと云ふやうな風に遣つたならば、決して事業が発達するものでは無い、富の増進するものでないことは明かである、仮りに若し其の仕事が自己の利害に関係せず、人毎に儲かつても己れの仕合せにならぬ、損しても不仕合せにならぬと云ふことであつたならば、其の事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、此の物を進めたい、此の仕事を発達せしむると云ふことは争ふべからざる事実である、去れば若しさういふ観念から他の事を凌いで、或は世の中の大勢を知らず、或は事情を察せずに、吾さへ善ければ宜いと云ふことであつたならば、如何になるか、必ず共に其の不幸を蒙つて、己れ一人を利さうと思つた、其の己れも亦不幸を蒙むるといふことになるのである、
書き下し
試みに例えば石油であるとか、もしくは製粉であるとか、あるいは人造肥料であるというような業務について考えて見ても、もし利益を進めるという観念がなくて、成り行き次第でどうでもよいというような風にやったならば、決して事業が発達するものではない。富の増進するものでないことは明らかである。仮にもしその仕事が自己の利害に関係せず、人ごとに儲かっても己れの仕合わせにならぬ、損しても不仕合わせにならぬということであったならば、その事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、この物を進めたい、この仕事を発達せしむるということは争うべからざる事実である。されば、もしそういう観念から他の事を凌いで、あるいは世の中の大勢を知らず、あるいは事情を察せずに、我さえ善ければよいということであったならば、いかになるか。必ずともにその不幸を蒙って、己れ一人を利そうと思った、その己れもまた不幸を蒙るということになるのである。
現代語訳
試しに、たとえば石油や製粉、あるいは人造肥料といった事業について考えてみても、もし利益を上げようという考えがなく、成り行きしだいでどうでもよいというやり方をしたなら、決して事業は発達しない。富が増えないことは明らかである。仮にその仕事が自分の利害に関係せず、儲かっても自分の幸せにならず、損をしても不幸にならないというのであれば、その事業は十分には進まない。けれども自分の仕事であれば、この物を進めたい、この仕事を発達させたいと思うのは争えない事実である。しかし、もしそうした考えから他人を押しのけ、あるいは世の中の大勢を知らず、あるいは事情を察することなく、自分さえよければよいというのであれば、どうなるか。必ず皆がともに不幸をこうむり、自分一人を利そうと思ったその自分もまた不幸をこうむることになるのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法さりながらその利殖を図るものも、もしことごとく己れさえ利すれば、他はどうでもよかろうということをもって利殖を図って行ったならば、その事物はいかに相成るか。むずかしいことを言うようであるけれども、もし果たして前に述べたごとき有様であったならば、かの孟子の言う「何ぞ必ずしも利を曰わん、また仁義あるのみ」云々、「上下こもごも利を征りて国危うし」云々、「いやしくも義を後にして利を先にすることをせば、奪わずんば饜かず」となるのである。それゆえに真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでないと私は考える。
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『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法実業というものはいかに考えてよいものか。もちろん世の中の商売、工業が利殖を図るものに相違ない。もし商工業にして物を増殖するの効能がなかったならば、すなわち商工業は無意味になる。商工業は何たる公益もないものになる。
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『論語と算盤』仁義と富貴・真正の利殖法されば利殖を主義とするか、己れさえ利すればよろしい、人は構わぬという方の主義に基づいてやって行くか、今いう隣国のある一部分、元の当時の有様はそれである。人は構わぬ己れさえよければよい、国家は構わぬ、自己さえよければよい、その極国家はいかなる権利を失い、いかなる名声を落とすとも、個人の発達を考えて国家を顧みる人は、ほとんど稀だという有様である。宋の時代には前述の道徳仁義について国を亡ぼしたし、今日はまた利己主義において身を危うすると言わねばならぬのである。これは独り我が隣国ばかりでない、他の国々も皆同一であって、つまり利を図るということと、仁義道徳たる所の道理を重んずるという事は、並び立って相異ならん程度において始めて国家は健全に発達し、個人はおのおのその宜しきを得て富んで行くというものになるのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよしかるにこの場合に際し、もし実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間はいかようになろうと、自分さえ利益すれば構わぬと言っていれば、社会はますます不健全となり、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するようになるに相違ない。果たしてしからば危険思想醸成の罪は、ひとえに実業家の双肩に負わねばならなくなる。ゆえに一般社会のためにこれを匡正せんとするならば、この際我々の職分として、極力仁義道徳によって利用厚生の道を進めて行くという方針を取り、義利合一の信念を確立するように勉めなくてはならぬ。富みながらかつ仁義を行い得る例はたくさんにある。義利合一に対する疑念は今日ただちに根本から一掃せねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・義利合一の信念を確立せよ孔孟教の根底を誤り伝えたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、ほとんどすべてを利己主義たらしめ、その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網をくぐられるだけくぐっても金儲けをしたいの一方にさせてしまった。したがって今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間はどうあろうと構わないという腹で、もし社会的および法律的の制裁が絶無としたならば、彼らは強奪すらしかねぬという情けない状態に陥っている。もし永くこの状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔はますます甚だしくなり、社会はいよいよあさましい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ。これまことに孔孟の訓えを誤り伝えたる学者が数百年来跋扈していた余毒である。とにかく世の中が進むにつれて、実業界においても生存競争がますます激しくなるは自然の結果と言ってよい。
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