論語と算盤 / 常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道
凡そ事物に対し『斯くせよ』『斯くするな』といふが如き正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合に依つてはそれも出来かねることがある、
書き下し
およそ事物に対し「かくせよ」「かくするな」というがごとき正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合によってはそれも出来かねることがある。
現代語訳
およそ物事について、「こうせよ」「こうするな」というように、正と邪、曲と直がはっきりしているものなら、すぐに常識的な判断を下すことができる。だが、場合によってはそれもできかねることがある。
解説
「正に就き邪に遠ざかるの道」の章は、この短い一文で始まる。正しいか誤っているかが明らかなことなら、常識ですぐ判断できる。問題は、それができない場合だ、と渋沢は問いを立てる。この書き出しは、続く段で、悪がどのような姿で近づいてくるかを論じるための前置きになっている。現実の判断で人を迷わせるのは、明白な悪事ではない。もっともらしい理屈をまとい、一見正しく見える誘いである。渋沢は大蔵省時代に予算をめぐる激しい対立を経験し、民間に移ってからも数多くの会社の経営に関わって、利害の絡んだ勧誘や相談を日常的に受けていた。そうした経験から、善悪の見分けは教科書的な原則だけでは足りず、灰色の場面でこそ試されることを知っていたのだろう。明白な正邪は誰でも判断できる。人の真価が問われるのは、正邪がすぐには見えない場面においてだ、という章全体の主題がここで予告されている。
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道例えば、道理を楯にして言葉巧みに勧められでもすると、思わず知らず、平生自己の主義主張とする所よりも反対の方向に踏み入らざるを得ないようになって行くものである。かくのごときは無意識のうちに自己の本心を滅却されてしまうこととなるのであるが、そのような場合に際会しても、頭脳を冷静にしてどこまでも自己を忘れぬように注意することが、意志の鍛錬の要務である。もしそういう場合に遭遇したなら、先方の言葉に対し、常識に訴えて自問自答して見るがよい。その結果、先方の言葉に従えば一時は利益に向かい得られるが、後日に不利益が起こって来るとか、あるいはこの事柄に対してこう処断すれば、目前は不利でも将来のためになるとか、明瞭に意識されるものである。もし目前の出来事に対し、かくのごとき自省が出来たならば、自己の本心に立ち帰るはすこぶる容易なことで、従って正に就き邪に遠ざかることが出来る。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかおよそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか。余は次のごとく解釈する。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代かく事に対して是非得失、道理不道理を考査探究して、しかる後に手を下すのが事を処理するにおいて宜しきを得た方法であろうと思う。しかし考えるという点から見れば、いずれにしても精細に思慮しなくてはならぬ。一見してこれは道理に契うから従うがよいとか、これは公益に悖るから棄てるがよいとかいうがごとき早呑み込みはいけない。道理に合いそうに見えることでも、非道理の点はなかろうかと右からも左からも考えるがよい。また公益に反するように見えても、後々にはやはり世のためになるものではなかろうかと、穿ち入って考えなくてはならぬ。一言にして是非曲直、道理非道理と速断しても、適切でなければせっかくの苦心も何にもならぬ結果となる。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人しかしながら政治の理想的に行わるるも国民の常識にまち、産業の発達進歩も実業家の常識に負う所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬではないか。いわんや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識というよりは、むしろ健全なる常識ある人によって支配されているを見れば、常識の偉大なることは言うまでもないのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れつまり道理ある所には自ら進んで世話をしてやる気になるのであるが、そういうことも後日になって見ると、あの人は善くなかった、あの事柄は見違えたということが無いではない。しかし悪人必ずしも悪に終わるものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものならその人を善に導いてやりたいと考え、最初より悪人たることを知りつつ世話してやることもある。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余はややもすれば世人より誤解されて、渋沢は清濁併せ呑むの主義であるとか、正邪善悪の差別を構わぬ男であるとか評される。先頃もある者が来て真っ向から余に詰問し、「足下は日頃論語をもって処世上の根本主義とせられ、また論語主義をもって自ら行われつつあるにもかかわらず、足下が世話される人の中には、全く足下の主義と反し、むしろ非論語主義の者もあり、社会より指弾さるる人物をも、足下は平然としてこれを近づけ、虚然として世評に関せざるがごとき態度を取らるるが、かくのごときは足下が高潔なる人格を傷つくるものではあるまいか、その真意が聞きたい」とのことであった。
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