論語と算盤 / 常識と習慣・人生は努力にあり
要するに、事は平生にある、之を例すると医師と病人との関係の如きものである、平常衛生のことに注意を怠つて居て、イザ病気といふ時に医家の門に駈けつけるといふやうなもので、医者は病人を治すが職務であるから、何時でも治して呉れると思うては大違ひである、医家は必ず平常の衛生を勧めるに相違ない、故に予は凡ての人に、不断の勉強を望むと同時に、事物に対する平生の注意を怠らぬやうに心掛くることを説きたいと思ふのである。
書き下し
要するに、事は平生にある。これを例すると医師と病人との関係のごときものである。平常衛生のことに注意を怠っていて、いざ病気という時に医家の門に駆けつけるというようなもので、医者は病人を治すが職務であるから、いつでも治してくれると思っては大違いである。医家は必ず平常の衛生を勧めるに相違ない。ゆえに予はすべての人に、不断の勉強を望むと同時に、事物に対する平生の注意を怠らぬように心掛くることを説きたいと思うのである。
現代語訳
要するに、事は平生にある。これをたとえると、医者と病人の関係のようなものである。ふだん衛生に注意するのを怠っていて、いざ病気というときに医者の門へ駆けつけるようなもので、医者は病人を治すのが職務だから、いつでも治してくれると思うのは大間違いである。医者は必ずふだんの衛生を勧めるに違いない。だから私はすべての人に、絶え間ない勉強を望むと同時に、物事に対してふだんからの注意を怠らないように心がけることを説きたいと思うのである。
解説
章の結びに、渋沢は「事は平生にある」という一句を置く。大事が起きてから慌てるのではなく、日ごろの備えがすべてを決めるという意味である。たとえは医者と病人だ。ふだん養生を怠り、病気になってから医者に駆け込む。医者は病人を治すのが仕事だから、いつでも治してくれると思うのは大違いで、医者なら必ず平生の衛生を勧めるだろう、と。この章の前段では勉強を終身のものとし、学問は実地で働かせるものだと説いた。その締めくくりとして、努力とは危機のときの奮闘ではなく、平生の地道な注意の積み重ねだと示すのである。「常識と習慣」の部全体を通して、渋沢は非常時より平時、非凡より平凡の価値を繰り返し説いてきた。この段もその流れの中にある。経営に置き換えれば、トラブルが起きてから専門家に頼る前に、日々の点検や人の育成を怠っていないかを問う言葉として読める。
関連する章句
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