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論語と算盤 / 常識と習慣・何をか真才真智と謂ふ

また或時孔子が宋に往つて、帰途に大勢から囲まれ、殆んど危害を受けさうになつた、此時にも門人が憂へたら、孔子が曰はれるに、『天の将に斯文を喪さんとするや、後死の者斯文に与かるを得ざるなり、天の斯文を喪さ〻゙るや、宋人それ予を如何』と云つて、泰然として一身の危害を少しも憂へなかつた、また或る場合には『大廟に入つては、事ごとに問ふ』、或人これを怪みて、鄹人の子は礼を知つてると云ふが、大廟に入ると総ての事を煩さい程尋ねる、あれでは礼を知つてるのでは無からうと言つたら、孔子は答へて曰く『是れ礼なり』、それが即ち礼を知つてるのだと言はれた、誠に自身の境遇位地をよく知つて、道理正しく活用するのが即ち孔子の大聖人となり得る唯一の修養法であつたやうに見える、して見ると孔子の如き人でも、場合に依つて細事たりとも常に注意を怠らぬ、それが即ち聖人に成り得る所以である、

書き下し

またある時孔子が宋に往って、帰途に大勢から囲まれ、ほとんど危害を受けそうになった。この時にも門人が憂えたら、孔子が言われるに、「天のまさに斯文を喪さんとするや、後死の者斯文に与かるを得ざるなり、天の斯文を喪さざるや、宋人それ予をいかん」と言って、泰然として一身の危害を少しも憂えなかった。またある場合には「大廟に入っては、事ごとに問う」。ある人これを怪しみて、鄹人の子は礼を知ってると言うが、大廟に入るとすべての事をうるさいほど尋ねる、あれでは礼を知ってるのではなかろうと言ったら、孔子は答えて曰く「これ礼なり」、それがすなわち礼を知ってるのだと言われた。誠に自身の境遇位地をよく知って、道理正しく活用するのがすなわち孔子の大聖人となり得る唯一の修養法であったように見える。して見ると孔子のごとき人でも、場合によって細事たりとも常に注意を怠らぬ。それがすなわち聖人に成り得る所以である。

現代語訳

また、あるとき孔子が宋へ行き、その帰り道に大勢に取り囲まれて、危うく危害を加えられそうになった。このときも門人たちが心配すると、孔子は「天がこの文化を滅ぼそうとするのなら、後に生まれる者はこの文化にあずかることができないはずだ。天がこの文化を滅ぼさないのなら、宋の人たちが私をどうできよう」と言って、泰然として、わが身の危険を少しも心配しなかった。また、ある場面では「大廟(魯の君主の祖廟)に入ると、事あるごとに質問した」。ある人がこれを怪しんで、鄹の人の息子(孔子)は礼を知っているというが、大廟に入るとあらゆることをうるさいほど尋ねる、あれでは礼を知っているとは言えまい、と言った。すると孔子は「これが礼なのだ」と答え、それこそが礼を知っているということなのだと言われた。まことに、自分の境遇と立場をよく知って、道理にかなうように正しく生かすことこそが、孔子が大聖人となりえた唯一の修養法だったように見える。してみると、孔子のような人でも、場合によってはどんな細かいことにも常に注意を怠らなかった。それこそが聖人になりえたゆえんなのである。

解説

境遇をわきまえる孔子の姿を、渋沢はさらに二つの場面で示す。一つは大勢に囲まれて命が危うくなったとき、天がこの文化を滅ぼすつもりでないなら、彼らが私をどうできよう、と泰然としていた場面である。論語子罕篇ではこれは匡の地での出来事で、「匡人其れ予を如何」とあり、渋沢は宋での桓魋の件と記憶を重ねて語っている。もう一つは八佾篇の、大廟に入って事ごとに質問した場面だ。礼の専門家がなぜいちいち聞くのかと笑われた孔子は、これが礼だと答えた。知っているつもりでも初めての場では確かめる。その慎重さが礼の本質だというのである。渋沢はこれらをまとめて、自分の境遇と位置をよく知り、道理正しく活かすことが孔子を大聖人にした修養法だと言う。危難には動じず、小事には念を入れる。大胆さと細心さが一人の中に同居しているところに、境遇を知る者の姿を見ているのである。

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