論語と算盤 / 常識と習慣・何をか真才真智と謂ふ
凡そ人の世に立つに就て最も肝要なるものは、智慧を増して行かねばならぬ、総て一身の発達、国家の公益を図るにも、智識といふものが無ければ進んで行くことは出来ぬけれども、併しそれ以上に人は人格といふものを養つて行かなくてはならぬ、謂ゆる人格の修養、これは極めて大切なことだらうと思ふ、但し人格といふ定義は如何に論断せらる〻か知らないが、稀には少しは非常識ともいふべき英雄豪傑に人格崇高な人があるから、果して人格と常識が必ず一致するものであらうか如何か、人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にして謂ゆる真才真智といふのは、多くは常識の発達にあるというても誤りないと思ふのである。
書き下し
およそ人の世に立つについて最も肝要なるものは、智慧を増して行かねばならぬ。すべて一身の発達、国家の公益を図るにも、智識というものがなければ進んで行くことは出来ぬけれども、しかしそれ以上に人は人格というものを養って行かなくてはならぬ。いわゆる人格の修養、これは極めて大切なことだろうと思う。ただし人格という定義はいかに論断せらるるか知らないが、稀には少しは非常識ともいうべき英雄豪傑に人格崇高な人があるから、果たして人格と常識が必ず一致するものであろうかどうか。人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にしていわゆる真才真智というのは、多くは常識の発達にあると言っても誤りないと思うのである。
現代語訳
およそ人が世に立つうえで最も肝要なのは、知恵を増していくことである。一身の発達にしても国家の公益を図るにしても、知識というものがなければ進んでいくことはできない。しかしそれ以上に、人は人格というものを養っていかなければならない。いわゆる人格の修養であり、これはきわめて大切なことだと思う。ただ、人格の定義がどう論じられるかは知らないが、まれには少々非常識とも言える英雄豪傑に人格の崇高な人がいるから、はたして人格と常識が必ず一致するものかどうかは分からない。しかし、人が完全に役に立ち、公にも私にも必要とされる、いわゆる真の才能、真の知恵というものは、多くは常識の発達にあると言って誤りないと思うのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・何をか真才真智と謂ふゆえにお互いに皆、孔子のごとき大聖人になるということは不可能か知らぬけれども、我が境遇位地をこれ誤らぬだけのことが出来るならば、少なくとも通常人以上になり得ることは難くないだろうと思う。しかるに世間はこの反対に走るもので、ちょっと調子が良いと、すぐに我が境遇を忘れて分量不相応の考えも出す。またある困難の事に遭遇すると、我が位置を失して打ち萎れてしまう。すなわち幸いに驕り災いに哀しむのが凡庸人の常である。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人偉き人と完き人とは大いに違う。偉い人は人間の具有すべき一切の性格にたとい欠陥があるとしても、その欠陥を補って余りあるだけ他に超絶した点のある人で、完全なる人に比すれば、言わば変態である。それに反して完き人は、智情意の三者が円満に具足した者、すなわち常識の人である。余はもちろん偉い人の輩出を希望するのであるけれども、社会の多数人に対する希望としては、むしろ完き人の世に隈なく満たんことを欲する。つまり常識の人の多からんことを要望する次第である。偉い人の用途は無限とは言えぬが、完き人ならいくらでも必要な世の中である。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人史乗などに見ゆる所の英雄豪傑には、とかく智情意の三者の権衡を失した者が多いようである。すなわち意志が非常に強かったけれども智識が足りなかったとか、意志と智慧とは揃っていたが、情愛に乏しかったとかいうがごとき性格は、彼らの間にいくらもあった。かくのごときものはいかに英雄でも豪傑でも常識的の人とは言われない。なるほど、一面から見れば非常に偉い点がある、超凡的な所がある、普通一般人の企及すべからざる点があるには相違ないが。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人しかしながら政治の理想的に行わるるも国民の常識にまち、産業の発達進歩も実業家の常識に負う所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬではないか。いわんや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識というよりは、むしろ健全なる常識ある人によって支配されているを見れば、常識の偉大なることは言うまでもないのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・何をか真才真智と謂ふそしてその常識の発達については、第一に必要なるは己れの境遇に注意するにある。ゆえにこれを文字にて示そうものなら、「人は自己の境遇によく注意をせねばならぬ」ということになろうと思う。この文字はあるいは適当でないかも知らぬが――私は西洋の格言などはあまり知らぬから、常に東洋の経書についてのみ例を引くが、論語に自己の境遇について注意を篤くすることを教えた例が、あるいは大きい場合、あるいは小さい場合に数多く見える。ゆえに大聖人の孔子でも、やはり自己の境遇に適することを勉めた。また他に対してもその境遇に不適当なる時は、必ずそれに賛同を与えぬ。一例を言えば、孔子が「道が行われぬから桴に乗って海に浮かぼう、我に従うものはそれ由か」と子路を促した。「子路これを聞いて喜ぶ」。これは孔子がちょっと意地の悪いようなことで、自分が問いを掛けたのだから、子路が喜んだろう。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかおよそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか。余は次のごとく解釈する。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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