論語と算盤 / 常識と習慣・常識とは如何なるものか
凡そ人として世に処するに際し、常識は何れの地位にも必要で、又何れの場合にも欠けてはならぬことである、然らば常識とは如何なるものであらうか、余は次の如く解釈する。
書き下し
およそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか。余は次のごとく解釈する。
現代語訳
およそ人として世の中を渡っていくうえで、常識はどんな地位にも必要であり、またどんな場合にも欠けてはならないものである。では、常識とはどのようなものであろうか。私は次のように解釈する。
解説
「常識と習慣」の部の最初の章は、常識の定義から入る。この短い一段はその問いを立てる導入で、直後に「事に当りて奇矯に馳せず、頑固に陥らず」で始まる定義が続く。渋沢が常識を部の冒頭に置いたのには理由がある。『論語と算盤』の全体を通じて、渋沢は道徳を特別な人の特別な徳としてではなく、誰もが日々の仕事で使う判断力として語ろうとしている。常識はそのための言葉である。「何れの地位にも」「何れの場合にも」と重ねるのは、社長にも店員にも、平時にも非常時にも要るという意味だ。高い理想や専門知識より先に、まず常識がなければ世に処せない。常識という語は、明治に英語のコモンセンスの訳語として広まった比較的新しい言葉だった。その語に儒学の中庸を重ねて定義し直すのが、この章の仕事である。
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかすなわち事に当たりて奇矯に馳せず、頑固に陥らず、是非善悪を見分け、利害得失を識別し、言語挙動すべて中庸に適うものがそれである。これを学理的に解釈すれば「智、情、意」の三者がおのおの権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だろうと考える。さらに換言すれば、普通一般の人情に通じ、よく通俗の事理を解し、適宜の処置を取り得る能力がすなわちそれである。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道およそ事物に対し「かくせよ」「かくするな」というがごとき正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合によってはそれも出来かねることがある。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人しかしながら政治の理想的に行わるるも国民の常識にまち、産業の発達進歩も実業家の常識に負う所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬではないか。いわんや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識というよりは、むしろ健全なる常識ある人によって支配されているを見れば、常識の偉大なることは言うまでもないのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・習慣の感染性と伝播力由来習慣とは人の平生における所作が重なりて一つの固有性となるものであるから、それが自ずから心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は善人となると言ったように、ついにはその人の人格にも関係して来るものである。ゆえに何人も平素心して良習慣を養うことは、人として世に処する上に大切なことであろう。
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『論語と算盤』常識と習慣・何をか真才真智と謂ふおよそ人の世に立つについて最も肝要なるものは、智慧を増して行かねばならぬ。すべて一身の発達、国家の公益を図るにも、智識というものがなければ進んで行くことは出来ぬけれども、しかしそれ以上に人は人格というものを養って行かなくてはならぬ。いわゆる人格の修養、これは極めて大切なことだろうと思う。ただし人格という定義はいかに論断せらるるか知らないが、稀には少しは非常識ともいうべき英雄豪傑に人格崇高な人があるから、果たして人格と常識が必ず一致するものであろうかどうか。人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にしていわゆる真才真智というのは、多くは常識の発達にあると言っても誤りないと思うのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人社会の諸設備が今日のごとく整頓し発達している際には、常識に富んだ人がたくさんにいて働けば、それで何らの欠乏も不足もない訳で、偉い人の必要は、ある特殊の場合を除いては、これを認むることが出来ない。およそ人の青年期ほど思想が一定せず、奇を好んで突飛な行動に出でんとする時代は少なかろう。それも年を経るに従い、次第に着実になって行くものだが、青年時代には多くの人の心は浮動している。しかるに常識というものはその性質が極めて平凡なものであるから、奇矯を好み突飛を好む青年時代に、この平凡な常識を修養せよというは、彼らの好奇心と相反する所があろう。偉い人になれと言わるれば進んでこれに賛成するが、完き人となれと言わるれば、その多くはこれを苦痛に感ずるのが彼らの通有性である。
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