導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 立志と学問・一生涯に歩むべき道

蓋ふにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であつたから、屢次変動を余儀なくされたに相違ない、それと同時に其後の立志が、四十余年を通じて不変のものであつた所から見れば、是れこそ真に自分の素質にも協ひ、才能にも応じた立志であつたことが窺ひ知られるのである、併しながら若し自分に己を知るの明があつて、十五六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向つて行つて居たならば、後年実業界に蹈込んだ三十歳頃までには、十四五年の長日月があつたのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出来たに相違なからう、仮りに爾うであつたとすれば、或は実業界に於ける現在の渋沢以上の渋沢を見出されるやうになつたかも知れない、けれども惜いかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方角違ひの仕事に徒費して了つた、これにつけても将に志を立てんとする青年は、宜しく前車の覆轍を以て後車の戒めとするが宜いと思ふ。

新字:蓋ふにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であつたから、屡次変動を余儀なくされたに相違ない、それと同時に其後の立志が、四十余年を通じて不変のものであつた所から見れば、是れこそ真に自分の素質にも協ひ、才能にも応じた立志であつたことが窺ひ知られるのである、併しながら若し自分に己を知るの明があつて、十五六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向つて行つて居たならば、後年実業界に蹈込んだ三十歳頃までには、十四五年の長日月があつたのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出来たに相違なからう、仮りに爾うであつたとすれば、或は実業界に於ける現在の渋沢以上の渋沢を見出されるやうになつたかも知れない、けれども惜いかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方角違ひの仕事に徒費して了つた、これにつけても将に志を立てんとする青年は、宜しく前車の覆轍を以て後車の戒めとするが宜いと思ふ。

書き下し

思うにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であったから、しばしば変動を余儀なくされたに相違ない。それと同時にその後の立志が、四十余年を通じて不変のものであった所から見れば、これこそ真に自分の素質にもかない、才能にも応じた立志であったことが窺い知られるのである。しかしながらもし自分に己を知るの明があって、十五六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向かって行っていたならば、後年実業界に踏み込んだ三十歳頃までには、十四五年の長日月があったのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出来たに相違なかろう。仮にそうであったとすれば、あるいは実業界における現在の渋沢以上の渋沢を見出されるようになったかも知れない。けれども惜しいかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期をまったく方角違いの仕事に徒費してしまった。これにつけてもまさに志を立てんとする青年は、よろしく前車の覆轍をもって後車の戒めとするがよいと思う。

現代語訳

思うに、それ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らない立志であったから、たびたび変わらざるを得なかったに違いない。それと同時に、その後の立志が四十余年を通じて変わらなかったところから見れば、これこそ本当に自分の素質にもかない、才能にも応じた立志であったことがうかがい知られるのである。しかしながら、もし私に自分を知る賢明さがあって、十五、六歳の頃から本当の志が立ち、はじめから商工業に向かっていたならば、後年実業界に踏み込んだ三十歳頃までには十四、五年もの長い年月があったのだから、その間に商工業についての素養も十分に積むことができたに違いない。もしそうであったなら、あるいは実業界において、今の渋沢以上の渋沢を見出していただけるようになっていたかもしれない。けれども惜しいことに、青年時代の血気にはやる心に誤られて、肝心の修養期をまったく見当違いの仕事に無駄に費やしてしまった。これにつけても、今まさに志を立てようとする青年は、前の車がひっくり返った跡を見て、後の車の戒めとするのがよいと思う。

解説

章の結論である。志が何度も変わったのは、身の程を知らない志だったからだ。四十余年変わらなかった志こそ、素質にも才能にもかなっていた。渋沢は志の正しさを、続いたかどうかで事後的に判定している。そのうえで仮定を置く。十五六歳で本当の志が立っていれば、三十歳までの十四五年を商工業の修養に使えた。そうすれば「現在の渋沢以上の渋沢」になれたかもしれない、と。日本の近代産業の基礎を築いた当人がこれを言うのだから、謙遜にしては重い。惜しんでいるのは地位や富ではなく、修養の時間である。「前車の覆轍は後車の戒め」は『漢書』賈誼伝などに見える言葉で、前の車が転んだ跡を後の車の教訓とせよ、という意味だ。自分の失敗をそのまま教材として差し出す姿勢が、この章を説教ではなく証言にしている。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る