論語と算盤 / 立志と学問・大立志と小立志との調和
既に根幹となるべき志が立つたならば、今度は其の枝葉となるべき小さな立志に就て、日々工夫することが必要である、何人でも時々事物に接して起る希望があらうが、それに対し何うかして其の希望を遂げたいといふ観念を抱くのも一種の立志で、余が謂ゆる小さな立志とは即ちそれである、一例を挙げて説明すれば、某氏は或る行によつて世間から尊敬されるやうになつたが、自分もどうかしてあういふ風になりたいとの希望を起すが如き、是も亦一の小立志である、然らば此の小立志に対しては如何なる工夫を𢌞らすべきかと云ふに、先づ其の要件は、何所までも一生を通じての大なる立志に戻らぬ範囲に於て工夫することが肝要である、又小なる立志は其の性質上常に変動遷移するものであるから、此の変動や遷移に因つて大なる立志を動かすことのないやうにするだけの用意が必要である、詰り大なる立志と小さい立志と矛盾するやうなことがあつてはならぬ、此の両者は常に調和し一致するを要するものである。
書き下し
すでに根幹となるべき志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな立志について、日々工夫することが必要である。何人でも時々事物に接して起こる希望があろうが、それに対しどうかしてその希望を遂げたいという観念を抱くのも一種の立志で、余がいわゆる小さな立志とはすなわちそれである。一例を挙げて説明すれば、某氏はある行いによって世間から尊敬されるようになったが、自分もどうかしてああいう風になりたいとの希望を起こすがごとき、これもまた一の小立志である。しからばこの小立志に対してはいかなる工夫をめぐらすべきかというに、まずその要件は、どこまでも一生を通じての大なる立志に戻らぬ範囲において工夫することが肝要である。また小なる立志はその性質上常に変動遷移するものであるから、この変動や遷移によって大なる立志を動かすことのないようにするだけの用意が必要である。つまり大なる立志と小さい立志と矛盾するようなことがあってはならぬ。この両者は常に調和し一致するを要するものである。
現代語訳
根幹となる志がすでに立ったなら、今度はその枝葉となる小さな立志について、日々工夫することが必要である。誰でも、折にふれて物事に接して起こる希望があるだろう。それに対して、何とかしてその希望を遂げたいという考えを抱くのも一種の立志であり、私の言う小さな立志とはまさにそれである。一例を挙げて説明すれば、ある人がある行いによって世間から尊敬されるようになったのを見て、自分も何とかしてああいうふうになりたいという希望を起こすようなこと、これもまた一つの小立志である。では、この小立志に対してはどのような工夫をめぐらすべきかといえば、まずその要件は、あくまで一生を通じての大きな立志に背かない範囲で工夫することが肝要である。また小さな立志は、その性質上つねに変わり移っていくものであるから、その変動や移り変わりによって大きな立志を動かすことのないようにするだけの用意が必要である。つまり、大きな立志と小さな立志とが矛盾するようなことがあってはならない。この両者は、つねに調和し一致していなければならないのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和これを要するに、立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組合せをしっかと考えてかからなければ、後日に至って折角の建築が半途で毀れるようなことにならぬとも限らぬ。かくのごとく立志は人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである。立志の要はよく己を知り、身の程を考え、それに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである。誰もよくその程を計って進むように心掛けるならば、人生の行路において間違いの起こる筈は万々ないことと信ずる。
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和生まれながらの聖人なら知らぬこと、我々凡人は志を立てるに当たっても、とかく迷いやすいのが常である。あるいは眼前社会の風潮に動かされ、あるいは一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へ浮々と乗り出す者が多いようであるけれども、これでは真に志を立てた者とは言われない。ことに今日のごとく世の中が秩序立って来ては、一度立てた志を中途から他に転ずるなどのことがあっては非常の不利益が伴うから、立志の当初最も慎重に意を用いるの必要がある。その工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、しかる後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、その最も長ずる所に向かって志を定めるがよい。
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和またそれと同時に、自分の境遇がその志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例えば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立てても、これに資力が伴わなければ、思うようにやり遂げることは困難であるというようなこともあるから、これならばいずれから見ても、一生を貫いてやることが出来るという確かな見込みの立った所で、初めてその方針を確定するがよい。しかるにさほどまでの熟慮考察を経ずして、ちょっとした世間の景気に乗じ、うかと志を立てて駆け出すような者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思う。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持ておよそ人の世に処するには、相当の趣味と理想とをもって道理から割り出して進むのが必要であると思う。ただその間にいわゆる商業の徳義はどうしても立て通すようにして、最も重要なるは信である。この信の一字を守ることが出来なかったならば、我々実業界の基礎は鞏固ということは出来ないのである。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れその与えられた仕事に不平を鳴らして、いってしまう人はもちろん駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人もまた駄目だ。およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一小部分で、これが満足に出来なければ、ついに結末がつかぬ事になる。時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかったら、大きな針が止まらなければならぬように、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違うと、その日の帳尻がつかぬものだ。若いうちには気が大きくて、小さい事を見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それがその時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することが無いとも限られぬ。よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることは出来ない。水戸の光圀公が壁書の中に「小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず」と認めておかれたが、ひとり商業といわず軍略といわず、何事にもこの考えでなくてはならぬ。
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『論語と算盤』立志と学問・大立志と小立志との調和以上述べる所は主として立志の工夫であるが、古人はいかに立志をしたものであるか、参考として孔子の立志について研究して見よう。自分が平素処世上の規矩としている論語を通じて孔子の立志を窺うに、「十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る云々」とある所より推測すれば、孔子は十五歳の時すでに志を立てられたものと思われる。しかしながらその「学に志す」と言われたのは、学問をもって一生を過ごすつもりであるという志を固く定めたものかどうか、これはやや疑問とする所で、ただこれから大いに学問しなければならぬというくらいに考えたものではなかろうか。さらに進んで「三十にして立つ」と言われたのは、この時すでに世に立って行けるだけの人物となり、修身斉家治国平天下の技倆ありと自信する境地に達せられたのであろう。
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