論語と算盤 / 立志と学問・自ら箸を取れ
青年のうちには、大に仕事したいが頼みに行く人がないとか、援て呉れる人がないとか、見て呉れる人がないとか嘆つ者がある、なるほど如何なる俊傑でも、其の才気胆略を見出す先輩なり世間なりがなかつたら、其の手腕を施すによしないことだ、そこで有力な先輩に知己を持つとか、親類に有力な人があるとかいふ青年は、その器量を認められる機会が多いから、比較的僥倖かも知れぬけれども、其れは普通以下の人の話で、若しその人に手腕があり、優れたる頭脳があれば、仮令早くから有力な知己親類がなくても、世間が閑却しては居ない、由来現今の世の中には人が多い、官途にも会社にも乃至銀行にも、頗る人が余つてる位だ、併し先輩が是ならといふて安心して任せられる人物は少ない、だから何所でも優良なる人物なら幾らでも欲しがつて居る、
書き下し
青年のうちには、大いに仕事したいが頼みに行く人がないとか、援けてくれる人がないとか、見てくれる人がないとかかこつ者がある。なるほどいかなる俊傑でも、その才気胆略を見出す先輩なり世間なりがなかったら、その手腕を施すによしないことだ。そこで有力な先輩に知己を持つとか、親類に有力な人があるとかいう青年は、その器量を認められる機会が多いから、比較的僥倖かも知れぬけれども、それは普通以下の人の話で、もしその人に手腕があり、優れたる頭脳があれば、たとい早くから有力な知己親類がなくても、世間が閑却してはいない。由来現今の世の中には人が多い。官途にも会社にもないし銀行にも、すこぶる人が余ってるくらいだ。しかし先輩がこれならといって安心して任せられる人物は少ない。だからどこでも優良なる人物ならいくらでも欲しがっている。
現代語訳
青年のなかには、大いに仕事をしたいが頼みに行く人がいないとか、助けてくれる人がいないとか、目をかけてくれる人がいないとか、嘆く者がいる。なるほど、どれほどの傑物でも、その才気や度胸と知略を見出してくれる先輩や世間がなかったら、腕をふるう手だてがない。だから有力な先輩に知り合いがいるとか、親類に有力な人がいるとかいう青年は、その器量を認められる機会が多いので、比較的幸運なのかもしれない。けれどもそれは並以下の人の話であって、もしその人に手腕があり、優れた頭脳があれば、たとえ早くから有力な知り合いや親類がなくても、世間が放っておくことはない。もともと今の世の中には人が多い。官庁にも会社にも、あるいは銀行にも、ずいぶん人が余っているくらいだ。しかし、先輩がこの人ならと安心して任せられる人物は少ない。だからどこでも、優れた人物ならいくらでも欲しがっているのである。
解説
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れかくお膳立てをして待っているのだが、これを食べるか否かは箸を取る人の如何にあるので、御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど先輩や世の中というものは暇でない。かの木下藤吉郎は匹夫から起こって、関白という大きな御馳走を食べた。けれど彼は信長に養ってもらったのではない。自分で箸を取って食べたのである。何か一と仕事しようとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れ誰が仕事を与えるにしても、経験のない若い人に、初めから重い仕事を授けるものではない。藤吉郎の大人物をもってしても、初めて信長に仕えた時は、草履取という詰らぬ仕事をさせられた。乃公は高等の教育を受けたのに、小僧同様に算盤を弾かせたり、帳面をつけさせたりするのは馬鹿馬鹿しい、先輩なんていうものは人物経済を知らぬものだなどと、不平をいう人もあるが、これはすこぶるもっとものようだがしかももっともでない。なるほどひとかどの人物に詰らぬ仕事をさせるのは、人物経済上から見てすこぶる不利益の話だが、先輩がこの不利益をあえてする意思には、そこに大なる理由がある。決して馬鹿にした仕向けではない。その理由はしばらく先輩の意中に任せて、青年はただその与えられた仕事を専念に行っていかなければならぬ。
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『論語と算盤』教育と情誼・人物過剰の一大原因従ってこれに要する人物にも色々の種類が必要で、高ければ一会社の社長たる人物、ひくければ使丁たり車夫たる人物も必要である。人を使役する側の人は少数なのに反し、人に使役される人は無限の需要がある。されば学生がこの需要多き、人に使役さるる側の人物たらんと志しさえすれば、今日の社会といえどもいまだ人物に過剰を生ずるような事はあるまいと考える。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れその与えられた仕事に不平を鳴らして、いってしまう人はもちろん駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人もまた駄目だ。およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一小部分で、これが満足に出来なければ、ついに結末がつかぬ事になる。時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかったら、大きな針が止まらなければならぬように、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違うと、その日の帳尻がつかぬものだ。若いうちには気が大きくて、小さい事を見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それがその時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することが無いとも限られぬ。よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることは出来ない。水戸の光圀公が壁書の中に「小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず」と認めておかれたが、ひとり商業といわず軍略といわず、何事にもこの考えでなくてはならぬ。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人社会の諸設備が今日のごとく整頓し発達している際には、常識に富んだ人がたくさんにいて働けば、それで何らの欠乏も不足もない訳で、偉い人の必要は、ある特殊の場合を除いては、これを認むることが出来ない。およそ人の青年期ほど思想が一定せず、奇を好んで突飛な行動に出でんとする時代は少なかろう。それも年を経るに従い、次第に着実になって行くものだが、青年時代には多くの人の心は浮動している。しかるに常識というものはその性質が極めて平凡なものであるから、奇矯を好み突飛を好む青年時代に、この平凡な常識を修養せよというは、彼らの好奇心と相反する所があろう。偉い人になれと言わるれば進んでこれに賛成するが、完き人となれと言わるれば、その多くはこれを苦痛に感ずるのが彼らの通有性である。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れ古語に「千里の道も跬歩よりす」と言ってある。たとい自分はもっと大きな事をする人間だと自信していても、その大きな事は片々たる小さな事の集積したものであるから、どんな場合をも軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全に仕遂げようとしなければならぬ。秀吉が信長から重用された経験もまさにこれであった。草履取の仕事を大切に勤め、一部の兵を托された時は一部将の任を完全にしていたから、そこに信長が感心して、ついに破格の抜擢を受け、柴田や丹羽と肩を並べる身分になったのである。ゆえに受附なり帳附なり、与えられた仕事にその時の全生命をかけて真面目にやり得ぬ者は、いわゆる功名利達の運を開くことは出来ない。
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