論語と算盤 / 立志と学問・自ら箸を取れ
此くお膳立をして待つてるのだが、之を食べるか否かは箸を取る人の如何にあるので、御馳走の献立をした上に、それを養つてやるほど先輩や世の中といふものは暇でない、彼の木下藤吉郎は匹夫から起つて、関白といふ大きな御馳走を食べた、けれど彼は信長に養つて貰つたのでは無い、自分で箸を取つて食べたのである、何か一と仕事しやうとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
書き下し
かくお膳立てをして待っているのだが、これを食べるか否かは箸を取る人の如何にあるので、御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど先輩や世の中というものは暇でない。かの木下藤吉郎は匹夫から起こって、関白という大きな御馳走を食べた。けれど彼は信長に養ってもらったのではない。自分で箸を取って食べたのである。何か一と仕事しようとする者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
現代語訳
このように膳は整えて待っているのだが、それを食べるかどうかは箸を取る本人しだいである。献立をこしらえたうえに、口まで運んで食べさせてやるほど、先輩も世間も暇ではない。あの木下藤吉郎は一介の身から起こって、関白という大きな御馳走を食べた。けれども彼は信長に食べさせてもらったのではない。自分で箸を取って食べたのだ。何か一つ仕事をしようという者は、自分で箸を取らなければ駄目である。
解説
引き立ててくれる人がいない、と嘆く青年に対する渋沢の答えである。彼の見立てはこうだ——人は余っているが、任せて安心できる人物は少ない。だからどこでも良い人材は欲しがっている。膳はすでに据えられている。足りないのは箸を取る側だ。この章の後半はもっと厳しい。与えられた仕事がつまらないと不平を言う者は論外だが、軽蔑して力を入れない者も同じく駄目だという。秀吉が草履取りを大切に勤め、一部隊を預かればその任を全うしたから抜擢された、と続く。機会が来ないのではなく、いま手にしている小さな仕事が、その機会そのものだという読み方である。
この章句が説くこと
自ら箸を取れお膳立て木下藤吉郎与えられた仕事主体性志
関連する章句
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『大和俗訓』巻之一・為学上一学問はまづ志を立つるを以て本とす。志とは心のゆく所なり。道を知り行ひて、君子に至らんと思ふ心常におこたりなく、念々やまざるを、志を立つると云ふ。志たたざれば学ぶこと成就せず。故に古人も、志ある者は其事つひになるといひ、又志たつは学の半なりといへり。たとへば弓いる者の、的に志し、道ゆく者の、宿に志すが如し。よろづの事、まづ本をつとむべし。志を立つるは学問の本なり。志を立つるには勇猛なるべし。柔弱にして怠るべからず。おこたれば験なくしてはかゆかず。道を求むるにせちなる志は、たとへば飢ゑて食を求め、渇きて湯水を求むるが如くなるべしわづかに悠々としておこたれば、志すたる。唯此道に心を一すぢにすべし。
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『学則』答屈景山書夫れ士の其の世に生まるる、此に非ざれば則ち出でて其の道を行ひ、功を策し名を立てて、以て其の父母を顕はす能はず。千秋の志無しと雖も、是れも亦た恕すべきのみ。二公の古文辞を倡ふるは、皆進士に第するの後に在り。而して二公の興るや、従游時師に過ぐ。時師の妒みを来たす所以なり。然れども二公は朝廷の功令に勝つ能はず、亦た人人の功名の心に勝つ能はず。故に人の之を非笑すること、猶ほ韓公の如し。而るに二公は人の非笑を顧みず、寧ろ世に知られず、此に藉りて禍を得るも、千歳の鍾期を竢つ者、亦た猶ほ韓公の如し。是れ其の心独り何ぞや。学問の道は諸を古に本づくればなり。夫れ志を立つること此くの如し。豈に模擬剽窃を是れ為さんや。此を以て之を観れば、妒口に非ずして何ぞや。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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