論語と算盤 / 立志と学問・秀吉の長所と短所
翌天正十一年が直ぐ賤ケ岳の戦争になつて、柴田勝家を滅ぼし、遂に天下を一統して、天正の十三年に秀吉も目出度関白の位を拝するやうになつたのであるが、秀吉が斯く天下を一統するまでに要した時間は、本能寺の変あつて以来、僅に満三年である、秀吉には素より天稟の勝れた他に異るところもあつたに相違ないが、秀吉の勉強が全く之を然らしめたものである。是より先き、秀吉が信長に仕へてから間もなく、清洲の城壁を僅に二日間に修築して信長を驚かしたといふ事も伝へられて居るが、是れとても一概に稗史小説の無稽譚として観るべきでない、秀吉ほどの勉強を以てすれば、これぐらゐの事は必ず出来たと思ふ。
書き下し
翌天正十一年がすぐ賤ケ岳の戦争になって、柴田勝家を滅ぼし、ついに天下を一統して、天正の十三年に秀吉もめでたく関白の位を拝するようになったのであるが、秀吉がかく天下を一統するまでに要した時間は、本能寺の変あって以来、わずかに満三年である。秀吉にはもとより天稟の勝れた他に異なるところもあったに相違ないが、秀吉の勉強がまったくこれをしからしめたものである。これより先、秀吉が信長に仕えてから間もなく、清洲の城壁をわずかに二日間に修築して信長を驚かしたという事も伝えられているが、これとても一概に稗史小説の無稽譚として観るべきでない。秀吉ほどの勉強をもってすれば、これぐらいの事は必ず出来たと思う。
現代語訳
翌天正十一年にはすぐに賤ケ岳の戦いとなって柴田勝家を滅ぼし、ついに天下を統一して、天正十三年には秀吉もめでたく関白の位を授かるようになった。秀吉がこのように天下を統一するまでに要した時間は、本能寺の変以来、わずか満三年である。秀吉には、もとより生まれつき優れた、人と異なるところもあったに違いないが、まったく秀吉の勉強がそうさせたのである。これより前、秀吉が信長に仕えてまもなく、清洲城の城壁をわずか二日で修築して信長を驚かせたという話も伝えられている。これとても、一概に俗な歴史物語の荒唐無稽な話と見るべきではない。秀吉ほどの勉強をもってすれば、これくらいのことは必ずできたと思う。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』立志と学問・秀吉の長所と短所天正十年織田信長が明智光秀に弑せられた時に、秀吉は備中にあって毛利輝元を攻めていたのであるが、変を聞くや直ちに毛利氏と和し、弓銃各五百、旗三十と一隊の騎士とを輝元の手許より借り受け、兵を率いて中国より引き返し、京都を去るわずかに数里の山崎で光秀の軍と戦い、ついにこれを破って光秀を誅し、その首を本能寺に梟すまでに、秀吉の費やした日数は、信長が本能寺に弑せられてよりわずかに十三日、ただ今の言葉で申せば二週間以内のことである。鉄道もなく車もない、交通の不便この上なきその頃の世の中に、京都に事変のあったのが、一旦中国に伝えられた上で和議をまとめ、兵器から兵卒まで借り入れて京都へ引き返すまでに、事変後わずかに二週間を出でなかったというのは、まったく秀吉が尋常ならぬ勉強家であった証拠である。勉強がなければいかに機智があっても、いかに主君の仇を報ずる熱心があっても、かくまで万事を手早く運んで行けるものではない。備中から摂津の尼ケ崎まで、昼夜兼行で進んで来たのであるというが、さだめしそうであったろうと思う。
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『論語と算盤』立志と学問・秀吉の長所と短所しかし豊太閤にもし最も大きな短所があったとすれば、それは家道の斉わなかった事と、機略があっても経略が無かった事とである。もしそれ豊太閤の長所はと言えば、申すまでもなく、その勉強、その勇気、その機智、その気概である。かく列挙した秀吉の長所の中でも、長所中の長所とも目すべきものは、その勉強である。私は秀吉のこの勉強に衷心より敬服し、青年子弟諸君にも、ぜひ秀吉のこの勉強を学んでもらいたく思うのである。事の成るは成るの日に成るにあらずして、その由来する所や必ず遠く、秀吉が稀世の英雄に仕上がったのは、ひとえにその勉強にある。
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『論語と算盤』立志と学問・秀吉の長所と短所秀吉が木下藤吉と称して信長に仕え、草履取をしていた頃、冬になれば藤吉の持ってた草履は、常にこれを懐中に入れて暖めておいたので、いつでも温かかったというが、こんな細かな事にまで亘る注意はよほどの勉強でないと、到底行き届かぬものである。また信長が朝早く外出でもしようとする時に、まだ供揃いの衆が揃う時刻でなくっても、藤吉ばかりはいつでも信長の声に応じてお供をするのが例であったと伝えられているが、これなども秀吉の非凡なる勉強家たりしを語るものである。
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『論語と算盤』立志と学問・秀吉の長所と短所乱世の豪傑が礼にならわず、とかく家道の斉わぬ例は、単に明治維新の際における今日のいわゆる元老ばかりではない。いずれの時代においても、乱世には皆そうしたものである。私なども家道が斉ってると口はばったく申し上げて誇り得ぬ一人であるが、かの稀世の英雄豊太閤などが、やはり礼にならわず、家道の斉わなかった随一人である。もとより賞むべきではないが、乱世に生い立ったものには、どうもこんな事も致し方のない次第で、あまり酷には責むべきでもなかろうと思う。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらもある。智者は自ら運命を作ると聞いているが、運命のみが人生を支配するものではない。智恵がこれに伴うて始めて運命を開拓することが出来るのである。いかに善良の君子でも、肝腎な智力が乏しくて、いざという場合に機会を踏み外したら成功は覚束ない。家康と秀吉とはよくこの事実を証明している。仮に秀吉が八十歳の天寿を保ち、家康が六十で死去したらいかがであったろうか。天下は徳川の手に帰せずして、かえって豊臣の万歳であったかも知れぬ。しかるに数奇なる運命は、徳川氏を助けて豊臣氏にわざわいした。単に秀吉の死期が早かったのみならず、徳川氏には名将智臣が雲のごとく集まったが、豊臣氏には淀君という嬖妾が権威をほしいままにして、六尺の孤を託すべき誠忠無二の且元は退けられ、かえって大野父子が寵用されるという有様、しかのみならず、石田三成の関東征伐の一挙は、豊臣氏の自滅を急がしむるの好機会を造った。
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『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕そもそも豊臣氏愚なるか、徳川氏賢なるか、余は徳川氏をして三百年の泰平の覇業を成さしめたものは、むしろ運命のしからしむる所であったと判断する。しかしながらこの運命を捉えることが難しい。常人は往々にして際会せる運命に乗ずるだけの智力を欠いているが、家康のごときはその智力において到来せる運命を捕捉したのである。
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