呻吟語 / 内篇・談道・下手處は自強不息、成就處は至誠無息
下手處是自強不息,成就處是至誠無息。
新字:下手処是自強不息,成就処是至誠無息。
書き下し
下手の處は是れ自強不息なり、成就の處は是れ至誠無息なり。
現代語訳
手をつける所は、自ら強めて休まないことです。成し遂げた所は、この上ない誠が休まないことです。
解説
易経の自強不息と中庸の至誠無息を、入口と出口に振り分けます。同じ休まないという言葉でも、始めは自分で自分を励まして休まないのであり、終わりは誠が自ずと休まないのです。努力が努力でなくなる地点を出口に置いた形で、前に出てきた忘れ得るという到達点と同じ構造になっています。歯を食いしばる段は通過点であって終着点ではない、という励ましでもあります。
この章句が説くこと
努力継続誠入口到達
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