論語と算盤 / 成敗と運命・失敗らしき成功
仮令一時は失敗の如くに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず、社会は之に依つて益せられ、結局其人は必ずしも千載の後を待たずとも、十年二十年或は数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる。
書き下し
たとい一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず、社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも、十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる。
現代語訳
たとえ一時は失敗のように見えても、長い時間のうちには努力の成果はむなしくならず、社会はそれによって益を受け、結局その人は、必ずしも千年の後を待たなくとも、十年、二十年、あるいは数十年を経れば、必ずその功績を認められることになるのである。
解説
前段の「それは決して失敗ではない」を受けて、渋沢はその理由を述べる。努力の功は長い時間のうちに空しくならず、社会はそれによって益を受け、十年二十年、あるいは数十年のうちに必ず認められる、と。孔子のように千載の後を待つまでもない、という言い方には、同時代の中に報いを見てきた実業家の実感がある。渋沢が明治の初めに説いた株式会社や銀行の仕組みも、商業教育や女子教育、養育院の事業も、その意義が広く認められるまでには長い年月を要した。ここで大事なのは「努力の功」が条件になっていることで、ただ待てば報われるという話ではない。すぐに評価されない仕事を続けるとき、自分を支えるのは、正しい方向に力を尽くしているという確信である。短期の成果を求められる現代の職場でも、長く効いてくる仕事を見分ける目が要る。
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『論語と算盤』成敗と運命・失敗らしき成功文筆言論、その他すべて精神的方面の事業に従事する者が、今のいわゆる成功を生前に収めようとしてもがけば、かえって時流に阿り、効果を急ぐがために、社会に益を与えぬようなことになる。さればとていかに精神的事業でも、いたずらに大言壮語して、人生の根本に触るることの出来ぬ大きな目論見ばかり立てて、毫も努力する所がないようでは、百載の後、たとい黄河の澄む期節があっても、到底失敗に終わり、最後の成功を収め得らるべきものでない。渾身の努力をさえ尽くしていれば、精神的事業においての失敗は決して失敗ではない。あたかも孔夫子の遺業が、今日世界幾百千万の人に安心立命の基礎を与えつつあるごとく、後昆を裨益し、人心の向上発達に貢献し得ることになり得るものである。
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