説苑 / 建本
梁丘據謂晏子曰:「吾至死不及夫子矣。」晏子曰:「嬰聞之,為者常成,行者常至;嬰非有異於人也,常為而不置,常行而不休者,故難及也。」
新字:梁丘拠謂晏子曰:「吾至死不及夫子矣。」晏子曰:「嬰聞之,為者常成,行者常至;嬰非有異於人也,常為而不置,常行而不休者,故難及也。」
書き下し
梁丘拠、晏子に謂いて曰わく、「吾死に至るまで夫子に及ばじ」と。晏子曰わく、「嬰之を聞く、為す者は常に成り、行く者は常に至ると。嬰人に異なる有るに非ざるなり、常に為して置かず、常に行きて休まざる者なり。故に及び難きなり」と。
現代語訳
梁丘拠が晏子に言った。「私は死ぬまで先生には及ばないでしょう」と。晏子は言った。「私はこう聞いています。物事を為し続ける者は常に成し遂げ、歩き続ける者は常にたどり着くと。私が他人と違う点があるわけではありません。ただ常に為し続けて途中でやめず、常に歩き続けて休まない、それだけのことです。だから及びがたいと見えるのです」と。
解説
才能の差ではなく、途切れず続けるという継続の力にこそ差の本質があるという晏子の答えは、驚くほど平明でありながら核心を突いている。「常に為して置かず、常に行きて休まざる」という一句は、特別な才覚を持たない者にとっても開かれた道を示している点で希望に満ちている。現代においても、突出した才能に憧れて自分には無理だと諦める前に、ただ淡々と歩み続けることそのものが差を生むという事実を、この短い問答は思い出させてくれる。
この章句が説くこと
継続努力晏子
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