孟子 / 盡心章句上
孟子曰、堯舜、性之也。湯武、身之也。五霸、假之也。久假而不歸、惡知其非有也。
新字:孟子曰、堯舜、性之也。湯武、身之也。五覇、仮之也。久仮而不帰、悪知其非有也。
書き下し
孟子曰く、「堯舜は、之を性にするなり。湯武は、之を身にするなり。五霸は、之を假るなり。久しく假りて歸さずんば、惡くんぞ其の、有に非ざるを知らんや。」
現代語訳
孟子は言った。 「堯や舜は、本性である仁義を自然のままに行った人である。湯王や武王は、仁義を修養して身につけた人である。春秋の五覇は、仁義を借りて諸侯を正した人である。しかし借り物であっても、長いこと返さなければ、やがては誰にも借り物だということが分からなくなってしまうものだ。」
解説
孟子は仁義の体得を三段階に分けます。堯や舜は生まれながらに仁義を自然に行い、湯王や武王は修養してそれを身につけ、春秋の五覇は仁義を借り物として利用したに過ぎない、というのです。聖人のように生まれつき正しい行いができる人もいれば、努力して身につける人もいます。ただし孟子は、借り物であっても長く返さずにいれば、いつしか本当に自分のものと見分けがつかなくなるとも述べています。最初は形だけの真似事であっても、長く続けていればやがて本物となり、自分の身につくものです。現代でも、初めは無理をしているように感じる良い習慣や態度が、続けることで確実に自分の実力や人格の一部となっていきます。
この章句が説くこと
習慣努力継続は力なり
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