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論語と算盤 / 処世と信条・得意時代と失意時代

然らば大事に処するには如何にすれば宜いかといふに、先づ事に当つて能く之を処理することが出来やうかと云ふことを考へて見なければならぬ、けれども其れとて人々の思慮に因るので、或人は自己の損得は第二に置き、専ら其事に就て最善の方法を考へる、又或人は自己の得失を先にして考へる、或は何物をも犠牲として其事の成就を一念に思ふ者もあれば、之と反対に自家を主とし、社会の如きは寧ろ眼中に置かぬ打算もあらう、蓋し人は銘々その面貌の変つて居る如く、心も異つて居るものであるから、一様に言ふ訳には行かぬが、若し余にどう考へるかと問はるれば、次の如く答へる、即ち事柄に対し如何にせば道理に契ふかを先づ考へ、而して其の道理に契つた遣方をすれば国家社会の利益となるかを考へ、更に此くすれば自己の為にもなるかと考へる、さう考へて見た時、若しそれが自己の為にはならぬが、道理にも契ひ、国家社会をも利益するといふことなら、余は断然自己を捨て、道理のある所に従ふ積りである。

書き下し

しからば大事に処するにはいかにすればよいかというに、まず事に当たってよくこれを処理することが出来ようかということを考えて見なければならぬ。けれどもそれとて人々の思慮によるので、ある人は自己の損得は第二に置き、専らその事について最善の方法を考える。またある人は自己の得失を先にして考える。あるいは何物をも犠牲としてその事の成就を一念に思う者もあれば、これと反対に自家を主とし、社会のごときはむしろ眼中に置かぬ打算もあろう。けだし人は銘々その面貌の変わっているごとく、心も異なっているものであるから、一様に言う訳には行かぬが、もし余にどう考えるかと問わるれば、次のごとく答える。すなわち事柄に対しいかにせば道理に契うかをまず考え、そしてその道理に契ったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えて見た時、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にも契い、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨て、道理のある所に従うつもりである。

現代語訳

それでは大事に処するにはどうすればよいかといえば、まず、その事に当たってうまく処理することができるかどうかを考えてみなければならない。けれども、それも人それぞれの考え方によるもので、ある人は自分の損得は二の次にして、もっぱらその事について最善の方法を考える。またある人は自分の損得を先にして考える。あるいは何もかも犠牲にしてその事の成就だけを一心に思う者もいれば、その反対に自分の家を主とし、社会のことなどはむしろ眼中に置かない打算もあるだろう。思うに人は、それぞれ顔かたちが違うように心も違っているものだから、一様に言うわけにはいかないが、もし私にどう考えるかと問われれば、次のように答える。すなわち、その事柄に対して、どうすれば道理にかなうかをまず考え、次にその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益になるかを考え、さらにこうすれば自分のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自分のためにはならないが、道理にもかない、国家社会をも利益するということであれば、私は断然自分を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。

解説

大事に当たるときの渋沢の判断の順序が、はっきり示される段である。人によって考え方は違う。自分の損得を後回しにする人、先にする人、何を犠牲にしても成就を願う人、社会を眼中に置かず自家の打算に走る人。渋沢自身の答えは三段である。第一に、どうすれば道理にかなうか。第二に、そのやり方が国家社会の利益になるか。第三に、それが自分のためにもなるか。そして、自分のためにはならなくても道理にかない社会を利するなら、断然自分を捨てて道理に従う。これは道徳経済合一説を意思決定の手順にまで落とし込んだものと言える。自分の利益を否定しているのではなく、三番目に置いている点が重要である。道理と公益にかなう事業は、長い目で見れば自分の利益にもつながる、という確信が渋沢にはあった。

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