韓非子 / 外儲說左下第三十三
曰:「昔周成王近優侏儒以逞其意,而與君子斷事,是能成其欲於天下。今季孫養孔子之徒,所朝服而與坐者以十數,而與優侏儒斷事,是以遇賊。
新字:曰:「昔周成王近優侏儒以逞其意,而与君子断事,是能成其欲於天下。今季孫養孔子之徒,所朝服而与坐者以十数,而与優侏儒断事,是以遇賊。
書き下し
今季孫孔子の徒を養い、朝服して燕に坐する所の者十を以て數う、而るに優侏儒と事を斷ず。是を以て賊に遇えり。
現代語訳
今、季孫は孔子の弟子たちを大勢養い、彼らは(くつろぐ場でも)礼服を着て座っていた。しかし(季孫は)実際の意思決定は(彼らではなく)道化師(優侏儒)と行っていた。このために(信頼されず)殺害された。
解説
リーダーが「表向きの顧問(孔子の徒)」と「実質的な意思決定者(優侏儒)」を使い分けている危険性を示します。部下は、リーダーが誰と「本当に(事を斷ず)」意思決定をしているかを見ています。もしリーダーが、公式の会議(朝服)ではなく、非公式な側近(優侏儒)との談合で物事を決めているなら、公式のメンバー(孔子の徒)の忠誠心は失われ、組織は崩壊(賊に遇う)します。
この章句が説くこと
意思決定公式と非公式側近政治透明性形骸化インフォーマル・グループ
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