史記 / 劉敬叔孫通列伝
高帝問群臣,群臣皆山東人,爭言周王數百年,秦二世即亡,不如都周。上疑未能決。及留侯明言入關便,即日車駕西都關中。於是上曰:「本言都秦地者婁敬,『婁』者乃『劉』也。」賜姓劉氏,拜為郎中,號為奉春君。
新字:高帝問群臣,群臣皆山東人,争言周王数百年,秦二世即亡,不如都周。上疑未能決。及留侯明言入関便,即日車駕西都関中。於是上曰:「本言都秦地者婁敬,『婁』者乃『劉』也。」賜姓劉氏,拝為郎中,号為奉春君。
書き下し
高帝、群臣に問ふ。群臣皆山東の人なれば、爭ひて言ふ、周は王たること數百年、秦は二世にして即ち亡ぶ、周に都するに如かず、と。上疑ひて未だ決する能はず。留侯明らかに關に入るの便を言ふに及び、即日車駕西して關中に都す。是に於いて上曰く、「本と秦の地に都せんと言ひし者は婁敬なり。婁なる者は乃ち劉なり」と。姓を劉氏と賜ひ、拜して郎中と為し、號して奉春君と為す。
現代語訳
高帝(劉邦)が群臣に意見を求めると、群臣は皆、山東(函谷関より東)の出身であったので、争って言った。「周は数百年も王であり続けたが、秦は二代でたちまち滅んだ。周の都(洛陽)に都を置くほうがよい。」高帝は迷って決めかねていた。ところが留侯(張良)がはっきりと関中に入ることの利を述べると、高帝はその日のうちに車駕を西に向け、関中に都を置いた。そこで高帝は言った。「もともと秦の地に都を置けと言ったのは婁敬だ。『婁』とは『劉』に通じる。」こうして婁敬に劉の姓を賜い、郎中(皇帝の側近の官)に任じて、奉春君と号させた。
解説
婁敬の関中遷都の献策が、どのように採られたかを記した段です。群臣はみな東方の出身で故郷に近い洛陽を好み、周は長く続いたが秦はすぐ滅んだと、都の場所と王朝の寿命を結びつけて反対しました。劉邦は決めかねましたが、張良が関中の利を明言すると即日西へ向かいます。そして最初に言い出したのが婁敬だったことを忘れず、劉の姓を与えて報いました。一介の守備兵の進言が、皇帝の姓を賜るほどの評価に結びついたのです。反対意見の背景に出身地という私的な利害があったこと、最終判断には信頼する参謀の一押しが要ったこと、そして発案者の功を正しく認めたことは、会議で物事を決める組織の姿として今も参考になります。
この章句が説くこと
劉敬婁敬意思決定都を関中に定める恩賞遷都立場でなく内容で評価
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