論語と算盤 / 処世と信条・得意時代と失意時代
斯く事に対して是非得失、道理不道理を考査探究して、然る後に手を下すのが事を処理するに於て宜しきを得た方法であらうと思ふ、併し考へるといふ点から見れば、孰れにしても精細に思慮しなくてはならぬ、一見して之は道理に契ふから従ふがよいとか、之は公益に悖るから棄てるが宜いとかいふが如き早飲込はいけない、道理に合ひさうに見えることでも、非道理の点はなからうかと右からも左からも考へるが可い、また公益に反するやうに見えても、後々には矢張世の為になるものではなからうかと、穿ち入つて考へなくてはならぬ、一言にして是非曲直、道理非道理と速断しても、適切でなければ折角の苦心も何にもならぬ結果となる。
書き下し
かく事に対して是非得失、道理不道理を考査探究して、しかる後に手を下すのが事を処理するにおいて宜しきを得た方法であろうと思う。しかし考えるという点から見れば、いずれにしても精細に思慮しなくてはならぬ。一見してこれは道理に契うから従うがよいとか、これは公益に悖るから棄てるがよいとかいうがごとき早呑み込みはいけない。道理に合いそうに見えることでも、非道理の点はなかろうかと右からも左からも考えるがよい。また公益に反するように見えても、後々にはやはり世のためになるものではなかろうかと、穿ち入って考えなくてはならぬ。一言にして是非曲直、道理非道理と速断しても、適切でなければせっかくの苦心も何にもならぬ結果となる。
現代語訳
このように、事に対して是非や得失、道理にかなうかどうかを調べ究めたうえで手を下すのが、事を処理するうえで適切な方法であろうと思う。しかし考えるという点から見れば、いずれにしても精細に思慮しなければならない。一目見て、これは道理にかなうから従うのがよいとか、これは公益に反するから捨てるのがよいとかいうような早合点はいけない。道理に合いそうに見えることでも、道理に外れた点はないだろうかと、右からも左からも考えるのがよい。また公益に反するように見えても、後々にはやはり世のためになるものではないだろうかと、深く掘り下げて考えなければならない。ひと言で是非曲直、道理か非道理かを即断しても、それが適切でなければ、せっかくの苦心も何にもならない結果となる。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代しからば大事に処するにはいかにすればよいかというに、まず事に当たってよくこれを処理することが出来ようかということを考えて見なければならぬ。けれどもそれとて人々の思慮によるので、ある人は自己の損得は第二に置き、専らその事について最善の方法を考える。またある人は自己の得失を先にして考える。あるいは何物をも犠牲としてその事の成就を一念に思う者もあれば、これと反対に自家を主とし、社会のごときはむしろ眼中に置かぬ打算もあろう。けだし人は銘々その面貌の変わっているごとく、心も異なっているものであるから、一様に言う訳には行かぬが、もし余にどう考えるかと問わるれば、次のごとく答える。すなわち事柄に対しいかにせば道理に契うかをまず考え、そしてその道理に契ったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えて見た時、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にも契い、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨て、道理のある所に従うつもりである。
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