論語と算盤 / 処世と信条・得意時代と失意時代
但し箸の上げ下しにも心を労する程小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するといふもので、何も夫程心を用ふる必要の無いこともある、また大事だからとて、左まで心配せずとも済まされることもある、故に事の大小といふたとて、表面から観察して直ちに決する訳にはゆかぬ、小事却つて大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小に拘はらず、その性質をよく考慮して、然る後に相当の処置に出るやうに心掛くるのが宜いのである。
書き下し
ただし箸の上げ下ろしにも心を労するほど小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するというもので、何もそれほど心を用うる必要の無いこともある。また大事だからとて、さまで心配せずとも済まされることもある。ゆえに事の大小というたとて、表面から観察して直ちに決する訳にはゆかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小に拘わらず、その性質をよく考慮して、しかる後に相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。
現代語訳
ただし、箸の上げ下ろしにまで気を使うほど小事にこだわるのは、限りある精神を無駄に使うというもので、それほど心を用いる必要のないこともある。また大事だからといって、それほど心配しなくても済むこともある。だから事の大小といっても、表面から見てすぐに決めるわけにはいかない。小事がかえって大事となり、大事が案外小事となる場合もあるから、大小にかかわらず、その性質をよく考えたうえで、それにふさわしい処置に出るよう心がけるのがよいのである。
解説
前段で小事を侮るなと説いた渋沢は、ここで逆方向の釘を刺す。箸の上げ下ろしにまで心を労するほど小事にこだわるのは、限りある精神の無駄遣いである。大事だからといって、それほど心配しなくて済むこともある。つまり、事の大小は表面からはすぐに決められない。小事がかえって大事となり、大事が案外小事となることもあるから、大小ではなく性質をよく考えて処置せよ、と言う。前の章で「箸の上げ下しの注意」を修身の基本とした渋沢が、ここでは箸の上げ下ろしにこだわりすぎるなと言っているのは、矛盾ではない。誠意をもって日常に当たることと、細部に神経をすり減らすことは別物だということである。見た目の大きさではなく、その事柄がどこへ波及するかという性質で、力の配分を決めよという教えである。
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代人の不親切とかわがままとかいうことも、小が積んで次第に大となるもので、積り積もれば政治家は政治界に悪影響を及ぼし、実業家は実業上に不成績を来し、教育家はその子弟を誤るようになる。されば小事必ずしも小でない。世の中に大事とか小事とかいうものはない道理、大事小事の別を立ててとやかくいうのは、畢竟君子の道であるまいと余は判断するのである。ゆえに大事たると小事たるとの別なく、およそ事に当たっては同一の態度、同一の思慮をもってこれを処理するようにしたいものである。これに添えて一言して置きたいことは、人の調子に乗るはよくないということである。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定してしまうことがある。それが甚だよろしくない。小事というくらいであるから、目前に現れたところだけでは極めて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして念を入れることを忘れるものであるが、この馬鹿にして掛かる小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ。また小事にもその場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが後日大問題を惹起するに至ることがある。あるいは些細なことから次第に悪事に進みて、ついには悪人となるようなこともある。それと反対に小事から進んで次第に善に向かいつつ行くこともある。始めは些細な事業であると思ったことが、一歩一歩に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、これがため一身一家の幸福となるに至ることもある。これらはすべて小が積んで大となるのである。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代およそ人の禍は多くは得意時代に萌すもので、得意の時は誰しも調子に乗るという傾向があるから、禍害はこの欠陥に喰い入るのである。されば人の世に処するにはこの点に注意し、得意時代だからとて気を緩さず、失意の時だからとて落胆せず、常操をもって道理を踏み通すように心掛けて出ることが肝要である。それとともに考えねばならぬことは大事と小事とについてである。失意時代なら小事もなおよく心するものであるが、多くの人の得意時代における思慮は全くそれと反し、『なにこれしきのこと』と言ったように、小事に対しては殊に軽侮的の態度を取りがちである。しかしながら得意時代と失意時代とに拘わらず、常に大事と小事とについての心掛けを緻密にせぬと、思わざる過失に陥り易いことを忘れてはならぬ。誰でも目前に大事を控えた場合には、これをいかにして処置すべきかと、精神を注いで周密に思案するけれども、小事に対するとこれに反し、頭から馬鹿にして不注意の中にこれをやり過ごしてしまうのが世間の常態である。
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『論語と算盤』立志と学問・自ら箸を取れその与えられた仕事に不平を鳴らして、いってしまう人はもちろん駄目だが、つまらぬ仕事だと軽蔑して、力を入れぬ人もまた駄目だ。およそどんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一小部分で、これが満足に出来なければ、ついに結末がつかぬ事になる。時計の小さい針や、小さい輪が怠けて働かなかったら、大きな針が止まらなければならぬように、何百万円の銀行でも、厘銭の計算が違うと、その日の帳尻がつかぬものだ。若いうちには気が大きくて、小さい事を見ると、何のこれしきなと軽蔑する癖があるが、それがその時限りで済むものならまだしも、後日の大問題を惹起することが無いとも限られぬ。よし後日の大問題にならぬまでも、小事を粗末にするような粗大な人では、所詮大事を成功させることは出来ない。水戸の光圀公が壁書の中に「小なることは分別せよ、大なることは驚くべからず」と認めておかれたが、ひとり商業といわず軍略といわず、何事にもこの考えでなくてはならぬ。
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『論語と算盤』成敗と運命・細心にして大胆なれまた余りに堅苦しく物事に拘泥し、細事に没頭する時は、自然に溌溂たる気力を銷磨し、進取の勇気を挫くことになるのであるから、この点も深く注意せねばならぬ。もとより細心周到なる努力は必要であるが、一方大胆なる気力を発揮して、細心大胆両者相待ち、溌溂たる活動をなし、始めて大事業を完成し得るものであるから、近来の傾向については、大いに警戒せねばならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切総じて世の中のことは心のままにならぬが多い。独り形の上に表れている事物ばかりでなく、心に属することも間々そういうことがある。例えば、一度こうと心の中に堅く決心したことでも、何かふとしたことからにわかに変ずる。人から勧められてついにその気になると言ったような事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起こることで、かくのごときは意志の弱いのであると言わねばなるまい。自ら決心して動かぬと覚悟していながら、人の言葉によりて変ずるがごときは、もとより意志の鍛錬の出来ているものではない。とかく平生の心掛けが大切である。平素その意中に『こうせよ』とか『こうせねばならぬ』とか、事物に対する心掛けが的確に決まっているならば、いかに他人が巧妙に言葉を操っても、うかとそれに乗せられるようなことはない訳だ。ゆえに何人も問題の起こらぬ時においてその心掛けを錬っておき、そして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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