言志四録 / 言志耋録 第九十六条 便宜も義の中に在り
凡爲事。當先謀其義如何。勿謀便宜。便宜亦在於義中。
新字:凡為事。当先謀其義如何。勿謀便宜。便宜亦在於義中。
書き下し
凡そ事を為すには、当に先づ其の義の如何を謀るべし。便宜を謀ること勿れ。便宜も亦義の中に在り。
現代語訳
およそ事を行うときは、まずそれが義にかなうかどうかを考えるべきである。都合のよさを考えてはならない。都合のよさというものもまた、義の中に含まれているのである。
解説
事を行うにあたっては、まず義、すなわちそれが正しい筋道にかなうかを考え、目先の便宜、都合のよさを先に考えてはならないと一斎は言います。注目したいのは結びの「便宜も亦義の中に在り」です。便宜を捨てよというのではなく、義にかなったやり方の中にこそ本当の都合のよさも含まれている、という見方です。義を先にすれば便宜は後からついてくるが、便宜を先にすれば義を見失う。順序が問われています。続く条では義そのものの中身が論じられます。効率や手早さを求める場面で、最初に何を問うかを考え直すきっかけになる一条です。
この章句が説くこと
義便宜判断優先順位正しさ
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