論語と算盤 / 処世と信条・人は平等なるべし
我国の古今を通じて、徳川家康といふ人ほど巧みに適材を適所に配備して、自家の権勢を張るに便じた権謀家は見当らない、居城江戸の警備として、関東は大方譜代恩顧の郎党を以て取固め、箱根の関所を控へて大久保相模守を小田原に備へ、謂ゆる三家は、水戸家を以て東国の門戸を抑え、尾州家を以て東海の要衝を扼し、紀州家を以て畿内の背後を警め、井伊掃部頭を彦根に置いて平安王城を圧したなんど、人物の配備は実に其妙を極めたのである、其他越後の榊原、会津の保科、出羽の酒井、伊賀の藤堂にしても、且は中国九州は勿論、日本国中到らぬ隈なく、要所には必ず自家恩顧の郎党を配備し、これはと思ふ大名は、手も足も出ぬやうに取詰め、見事に徳川三百年の社稷を築き上げたのである、斯くして得たる家康の覇道は、我が国体に適ふものであつたか否かは、私が更めて批評するまでもないが、兎も角も適材を適所に置くといふ手腕に於ては、古今家康に企及し得るもの、我が国史には其の匹儔を覓め難いのである。
書き下し
我が国の古今を通じて、徳川家康という人ほど巧みに適材を適所に配備して、自家の権勢を張るに便じた権謀家は見当たらない。居城江戸の警備として、関東はおおかた譜代恩顧の郎党をもって取り固め、箱根の関所を控えて大久保相模守を小田原に備え、いわゆる三家は、水戸家をもって東国の門戸を抑え、尾州家をもって東海の要衝を扼し、紀州家をもって畿内の背後を警め、井伊掃部頭を彦根に置いて平安王城を圧したなど、人物の配備は実にその妙を極めたのである。その他越後の榊原、会津の保科、出羽の酒井、伊賀の藤堂にしても、かつは中国九州はもちろん、日本国中到らぬ隈なく、要所には必ず自家恩顧の郎党を配備し、これはと思う大名は、手も足も出ぬように取り詰め、見事に徳川三百年の社稷を築き上げたのである。かくして得たる家康の覇道は、我が国体に適うものであったか否かは、私が改めて批評するまでもないが、ともかくも適材を適所に置くという手腕においては、古今家康に企及し得るもの、我が国史にはその匹儔を覓め難いのである。
現代語訳
わが国の昔から今までを通じて、徳川家康という人ほど巧みに適材を適所に配置して、自家の権勢を張るのに役立てた権謀家は見当たらない。居城江戸の警備として、関東はおおむね譜代・恩顧の家臣で固め、箱根の関所を控えて大久保相模守を小田原に置き、いわゆる御三家は、水戸家で東国の入口を押さえ、尾張家で東海の要衝を押さえ、紀州家で畿内の背後を警戒させ、井伊掃部頭を彦根に置いて京の都を威圧するなど、人物の配置はまことに巧妙を極めた。そのほか越後の榊原、会津の保科、出羽の酒井、伊賀の藤堂にしても、さらに中国・九州はもちろん、日本国中のすみずみまで、要所には必ず自家恩顧の家臣を配置し、これはと思う大名は手も足も出ないように封じ込め、見事に徳川三百年の天下を築き上げたのである。こうして得た家康の覇道が、わが国体にかなうものであったかどうかは、私が改めて批評するまでもないが、ともかくも適材を適所に置くという手腕においては、昔から今まで家康に肩を並べうる者は、わが国の歴史にはその類を求めがたいのである。
解説
関連する章句
-
『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕そもそも豊臣氏愚なるか、徳川氏賢なるか、余は徳川氏をして三百年の泰平の覇業を成さしめたものは、むしろ運命のしからしむる所であったと判断する。しかしながらこの運命を捉えることが難しい。常人は往々にして際会せる運命に乗ずるだけの智力を欠いているが、家康のごときはその智力において到来せる運命を捕捉したのである。
-
『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし材能の適不適を察し、適材を適所に置くということは、多少なりとも人を使う者の、常に口にこれを言うところであって、そしてまた常に心にこれを難ずるところである。さらにまた思うに、適材を適所に置くということの蔭には、往々にして権謀の加味されている場合がある。自己の権勢を張ろうとするには、何よりも適材を適所に配備し、一歩は一歩より、一段は一段より、漸次に自己の勢力を扶植し、漸次に自己の立脚地を踏み固めて行かなければならぬ。かように工夫するものは、ついによく一派の権勢を築き上げて、政治界に処しても、事業界に処しても、ないし何らの社会に処しても、儼然として覇者の威を振るうことが出来るのである。しかしさような行き方は、断じて私の学ぶところではない。
-
『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし渋沢の下に居りて舞台が狭いのならば、即座に渋沢と袂を分かち、自由自在に海濶な大舞台に乗り出して、思うさま手一杯の働きぶりを見せて下さることを私は衷心から希っている。我に一日の長があるがために、人が自ら卑くして私のもとで働いてくれるにしても、人の一日の及ばざるの故をもって、私はその人を卑しめたくない。人は平等でなければならぬ、節制あり礼譲ある平等でなければならぬ。私を徳とする人もあろうが、私も人を徳としている。畢竟世の中は相持ちと極まっているから、我も驕らず、彼も侮らず、互いに相許して毫末も乖離する所のなきように私は勤めている。
-
『論語と算盤』処世と信条・士魂商才また人の世に処するの道は、なかなか至難のものである。けれども論語を熟読玩味して往けば大いに覚るところがあるのである。ゆえに私は平生孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことはない。我が邦でも賢人豪傑はたくさんにいる。その中でも最も戦争が上手であり、処世の道が巧みであったのは徳川家康公である。処世の道が巧みなればこそ、多くの英雄豪傑を威服して十五代の覇業を開くを得たので、二百余年間人々が安眠高枕することの出来たのは実に偉とすべきである。それゆえ処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されている。かの『神君遺訓』なども、我々処世の道を実によく説かれている。そしてその『神君遺訓』を私が論語と照らし合わせて見たのに、実に符節を合するがごとくであって、やはり大部分は論語から出たものだということが分かった。例えば『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』とあるのは、論語の『士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎』とある、この曾子の言葉とまことによく合っている。
-
『論語と算盤』処世と信条・人は平等なるべし私は適材を適所に配備する工夫において家康の故智にあやかりたいものと、絶えず苦心しているのであるが、その目的においては全く家康に倣うところがない。渋沢はどこまでも渋沢の心をもって、我と相ともにする人物に対するのである。これを道具に使って自家の勢力を築こうの、どうのという私心は毛頭も蓄えておらぬ。ただ私の素志は適所に適材を得ることに存するのである。適材の適所に処して、そして何らかの成績を挙げることは、これその人の国家社会に貢献する本来の道であって、やがてまたそれが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである。私はこの信念の下に人物を待つのである。権謀的色彩をもってその人を汚辱し、自家薬籠の丸子として、その人を封じ込めてしまうような、罪な業は決して致さぬ。活動の天地は自由なものでなければならぬ。
-
『論語と算盤』成敗と運命・成敗は身に残る糟粕広い世界には、成功すべくして失敗した例はいくらもある。智者は自ら運命を作ると聞いているが、運命のみが人生を支配するものではない。智恵がこれに伴うて始めて運命を開拓することが出来るのである。いかに善良の君子でも、肝腎な智力が乏しくて、いざという場合に機会を踏み外したら成功は覚束ない。家康と秀吉とはよくこの事実を証明している。仮に秀吉が八十歳の天寿を保ち、家康が六十で死去したらいかがであったろうか。天下は徳川の手に帰せずして、かえって豊臣の万歳であったかも知れぬ。しかるに数奇なる運命は、徳川氏を助けて豊臣氏にわざわいした。単に秀吉の死期が早かったのみならず、徳川氏には名将智臣が雲のごとく集まったが、豊臣氏には淀君という嬖妾が権威をほしいままにして、六尺の孤を託すべき誠忠無二の且元は退けられ、かえって大野父子が寵用されるという有様、しかのみならず、石田三成の関東征伐の一挙は、豊臣氏の自滅を急がしむるの好機会を造った。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る