論語と算盤 / 処世と信条・論語は万人共通の実用的教訓
明治六年官を辞して、年来の希望なる実業に入ることに為つてから、論語に対して特別の関係が出来た、其れは始めて商売人になるといふ時、不図心に感じたのは、是からは愈々銖錙の利もて世渡りをしなければならぬが、志を如何に持つべきかに就て考へた、その時前に習つた論語のことを思ひ出したのである、論語には己を修め人に交はる日常の教が説いてある、論語は最も欠点の少ない教訓であるが、此の論語で商売は能まいかと考へた、そして私は論語の教訓に従つて商売し、利殖を図ることが能ると考へたのである。
書き下し
明治六年官を辞して、年来の希望なる実業に入ることになってから、論語に対して特別の関係が出来た。それは始めて商売人になるという時、ふと心に感じたのは、これからはいよいよ銖錙の利もて世渡りをしなければならぬが、志をいかに持つべきかについて考えた。その時前に習った論語のことを思い出したのである。論語には己を修め人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売は出来まいかと考えた。そして私は論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることが出来ると考えたのである。
現代語訳
明治六年に官職を辞して、かねてからの希望であった実業の世界に入ることになってから、論語と特別な関係ができた。初めて商売人になるというときに、ふと心に感じたのは、これからはいよいよわずかな利益を争って世渡りをしなければならないが、志をどう持つべきか、ということであった。そのとき、以前に習った論語のことを思い出したのである。論語には、自分を修め人と交わる日常の教えが説かれている。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできないものかと考えた。そして私は、論語の教訓に従って商売をし、利殖を図ることができると考えたのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・論語は万人共通の実用的教訓人間の勤むべき尊い仕事は到る処にある、官だけが尊いのではないといろいろ論語などを援いて弁駁し説きつけたのである。そして私は論語を最も瑕瑾のないものと思うたから、論語の教訓を標準として、一生商売をやって見ようと決心した。それは明治六年の五月のことであった。
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『論語と算盤』処世と信条・論語は万人共通の実用的教訓しかし論語は決して六ケ敷い学理ではない。六ケ敷いものを読む学者でなければ解らぬというようなものでない。論語の教は広く世間に効能があるので、元来解り易いものであるのを、学者が六ケ敷くしてしまい、農工商などのあずかり知るべきもので無いというようにしてしまった。商人や農人は論語を手にすべきもので無いというようにしてしまった。これは大なる間違である。このごとき学者は、たとえばやかましき玄関番のような者で、孔夫子には邪魔物である。こんな玄関番を頼んでは孔夫子に面会することは出来ぬ。孔夫子は決して六ケ敷屋でなく、案外捌けた方で、商人でも農人でも誰にでも会って教えてくれる方で、孔夫子の教は実用的の卑近の教である。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものこれはすなわち物を増殖する務めである。これが完全でなければ国の富はなさぬ。その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することが出来ぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人たちの書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているが、この論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合で、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によって出来ている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じているのである。
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『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言っている。孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払ってあると思う。これは論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある。もちろん世に立って、政を行うには、政務の要費はもちろん、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言うまでもないから、結局、国を治め民を済うためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである。ゆえに余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むるために、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易にその注意を怠らぬように導きつつあるのである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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