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論語と算盤 / 処世と信条・論語は万人共通の実用的教訓

そこへ恰度玉乃(世履)といふ岩国の人で、後に大審院長になり、書も達者、文も上手、至つて真面目な人で、役人中では玉乃と私とはマー循吏と謂はれて居た、二人は官で非常に懇親にし、官も相並んで進み、勅任官になつた、二人は共に将来は国務大臣にならうといふ希望を懐いて進んで居たのだから、私が突然官を辞して商人になるといふを聞き、痛く惜まれ、是非にと言つて引止めて呉れた、私は其時井上さんの次官をして居たので、井上さんは官制の事に就て内閣と意見を異にし、殆んど喧嘩腰で退いた、そして私も井上さんと共に辞したから、私も内閣と喧嘩して辞したやうに見えたのである、勿論私も井上さんと同じく内閣と意見は違つて居たけれども、私の辞したは喧嘩ではない、主旨が違ふ、私の辞職の原因は、当時の我国は政治でも教育でも著々改善すべき必要がある、併し我が日本は、商売が最も振はぬ、之が振はねば日本の国富を増進することが出来ぬ、これは如何にもして他の方面と同時に、商売を振興せねばならぬと考へた、

書き下し

そこへちょうど玉乃(世履)という岩国の人で、後に大審院長になり、書も達者、文も上手、いたって真面目な人で、役人中では玉乃と私とはマー循吏と言われていた。二人は官で非常に懇親にし、官も相並んで進み、勅任官になった。二人はともに将来は国務大臣になろうという希望を懐いて進んでいたのだから、私が突然官を辞して商人になるというを聞き、痛く惜しまれ、ぜひにと言って引き止めてくれた。私はその時井上さんの次官をしていたので、井上さんは官制の事について内閣と意見を異にし、ほとんど喧嘩腰で退いた。そして私も井上さんとともに辞したから、私も内閣と喧嘩して辞したように見えたのである。もちろん私も井上さんと同じく内閣と意見は違っていたけれども、私の辞したは喧嘩ではない、主旨が違う。私の辞職の原因は、当時の我が国は政治でも教育でも着々改善すべき必要がある。しかし我が日本は、商売が最も振るわぬ。これが振るわねば日本の国富を増進することが出来ぬ。これはいかにもして他の方面と同時に、商売を振興せねばならぬと考えた。

現代語訳

そこへちょうど、玉乃世履という岩国出身の人がいた。後に大審院長となった人で、書も達者、文章も上手、きわめて真面目な人物で、役人の中では玉乃と私とは、まあ循吏(職務に忠実な良吏)と言われていた。二人は官界でたいへん親しくし、官位も並んで進み、ともに勅任官になった。二人とも将来は国務大臣になろうという希望を抱いて進んでいたのだから、私が突然官を辞めて商人になると聞いて、ひどく惜しまれ、ぜひにと言って引き止めてくれた。私はそのとき井上(馨)さんの次官を務めていたが、井上さんは官制のことで内閣と意見が合わず、ほとんど喧嘩腰で退いた。そして私も井上さんと一緒に辞めたから、私も内閣と喧嘩して辞めたように見えたのである。もちろん私も井上さんと同じく内閣とは意見が違っていたけれども、私が辞めたのは喧嘩のためではない。趣旨が違う。私の辞職の理由はこうである。当時のわが国は、政治でも教育でも着々と改善していく必要があった。しかしわが日本は、商売が最も振るわない。これが振るわなければ日本の国富を増やすことはできない。これはなんとしても、他の方面と同時に商売を振興させなければならない、と考えたのである。

解説

渋沢の辞官をめぐる事情が語られる段である。明治六年、大蔵大輔の井上馨は予算をめぐって各省と対立して辞職し、その下にあった渋沢も同時に職を辞した。世間はこれを内閣との喧嘩と見たが、渋沢は主旨が違うと言う。政治も教育も改善が要るが、何より商売が振るわない。商売が振るわなければ国富は増えない。だから誰かが官を出て商売を興さねばならない、というのが真意だった。親友の玉乃世履は、後に大審院長となる謹厳な能吏で、ともに国務大臣を目指す仲だったからこそ強く引き止めた。当時の日本では、優秀な人材は官に集まり、商人は一段低く見られていた。その中で出世の道を捨てて民に降りた決断の重さが、この段の背景にある。周りから誤解されても、自分が辞める理由をはっきり持っていることが、次の一歩を支える。

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