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論語と算盤 / 処世と信条・天は人を罰せず

孔夫子は論語陽貨篇に於て、『天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉』と仰せられまた孟子も万章章句上に於て、『天不言、以行与事示之而已』と曰はれて居る通り、人間が無理な真似をしたり不自然な行動をしたりなぞして罪を天に獲たからとて、天が別に物を言つて其人に罰を加へるわけでも何でもない、周囲の事情によつて其人が苦痛を感ずるやうになるだけである、之が即ち天罰といふものである、人間が如何に此の天罰から免れやうとしても、決して免れ得べきものでは無い、自然に四時の季節が行はれ、天地万物の生育する如くに、天命は人の身の上に行はれてゆくものである、故に孔夫子も中庸の冒頭に於て、『天命之謂性』と言はれて居る、如何に人が神に禱ればとて、仏にお頼み申したからとて、無理な真似をしたり不自然な行為をすれば、必ず因果応報は其人の身の上に𢌞り来るもので、到底之を逃れる訳に行くもので無い、是に於てか自然の大道を歩んで毫も無理な真似をせず、内に省みて疚しからざる者にして、初めて孔夫子の言の如く、『天生徳於予、桓魋其如予何』との自信を生じ、玆に真正の安心立命を得られることになるのである。

新字:孔夫子は論語陽貨篇に於て、『天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉』と仰せられまた孟子も万章章句上に於て、『天不言、以行与事示之而已』と曰はれて居る通り、人間が無理な真似をしたり不自然な行動をしたりなぞして罪を天に獲たからとて、天が別に物を言つて其人に罰を加へるわけでも何でもない、周囲の事情によつて其人が苦痛を感ずるやうになるだけである、之が即ち天罰といふものである、人間が如何に此の天罰から免れやうとしても、決して免れ得べきものでは無い、自然に四時の季節が行はれ、天地万物の生育する如くに、天命は人の身の上に行はれてゆくものである、故に孔夫子も中庸の冒頭に於て、『天命之謂性』と言はれて居る、如何に人が神に祷ればとて、仏にお頼み申したからとて、無理な真似をしたり不自然な行為をすれば、必ず因果応報は其人の身の上に𢌞り来るもので、到底之を逃れる訳に行くもので無い、是に於てか自然の大道を歩んで毫も無理な真似をせず、内に省みて疚しからざる者にして、初めて孔夫子の言の如く、『天生徳於予、桓魋其如予何』との自信を生じ、玆に真正の安心立命を得られることになるのである。

書き下し

孔夫子は論語陽貨篇において、『天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉』と仰せられ、また孟子も万章章句上において、『天不言、以行与事示之而已』と言われている通り、人間が無理な真似をしたり不自然な行動をしたりなぞして罪を天に獲たからとて、天が別に物を言ってその人に罰を加えるわけでも何でもない。周囲の事情によってその人が苦痛を感ずるようになるだけである。これがすなわち天罰というものである。人間がいかにこの天罰から免れようとしても、決して免れ得べきものではない。自然に四時の季節が行われ、天地万物の生育するごとくに、天命は人の身の上に行われてゆくものである。ゆえに孔夫子も中庸の冒頭において、『天命之謂性』と言われている。いかに人が神に祷ればとて、仏にお頼み申したからとて、無理な真似をしたり不自然な行為をすれば、必ず因果応報はその人の身の上に回り来るもので、到底これを逃れる訳に行くものでない。ここにおいてか自然の大道を歩んで毫も無理な真似をせず、内に省みて疚しからざる者にして、初めて孔夫子の言のごとく、『天生徳於予、桓魋其如予何』との自信を生じ、ここに真正の安心立命を得られることになるのである。

現代語訳

孔子は論語の陽貨篇で「天は何を言うだろうか。四季はめぐり、万物は生まれる。天は何を言うだろうか」とおっしゃり、また孟子も万章章句上で「天はものを言わない。行いと出来事によってそれを示すだけだ」と言われている。その通り、人間が無理な真似をしたり不自然な行動をしたりして罪を天に得たからといって、天がとくに何かを言ってその人に罰を加えるわけでも何でもない。周囲の事情によって、その人が苦痛を感じるようになるだけである。これがすなわち天罰というものである。人間がどれほどこの天罰から免れようとしても、決して免れられるものではない。自然に四季がめぐり、天地の万物が生まれ育つのと同じように、天命は人の身の上に行われていくものである。だから孔子も『中庸』の冒頭で「天の命ずるをこれ性という」と言われている。どれほど人が神に祈っても、仏にお頼み申しても、無理な真似や不自然な行いをすれば、必ず因果応報がその人の身に回ってくるもので、とうていこれを逃れるわけにはいかない。そこで、自然の大道を歩んで少しも無理な真似をせず、自分の内を省みてやましくない者であって初めて、孔子の言葉のように「天が私に徳を授けたのだ。桓魋ごときが私をどうできようか」という自信が生まれ、ここに本当の安心立命が得られるのである。

解説

天は罰を言葉で下さない、という章の主題がここで正面から述べられる。陽貨篇の「天何をか言わんや、四時行われ、百物生ず」と、孟子万章篇の「天は言わず、行いと事とを以て之を示すのみ」を重ね、天罰とは周囲の事情によって本人が苦痛を感じるようになることだ、と渋沢は定義する。神仏に祈っても、無理と不自然の報いは回ってくる。一方で、内に省みて疚しくない者は、宋の桓魋に命を狙われた孔子が述べた「天、徳を予に生ぜり、桓魋其れ予を如何せん」の自信を持てる。なお「天命之を性と謂う」は中庸の冒頭の句で、中庸は一般に孔子の孫の子思の作とされる。罰を恐れて身を慎むのではなく、無理をしないことが結果として揺るがない安心をもたらす。不祥事の後始末に追われる組織ほど、この順序を逆に考えがちである。

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