論語と算盤 / 処世と信条・人物の観察法
佐藤一斎先生は、人と初めて会つた時に得た印象によつて其人の如何なるかを判断するのが、最も間違ひのない正確な人物観察法なりとせられ、先生の著述になつた『言志録』のうちには、『初見の時に相すれば人多く違はじ』といふ句さへある、初めて会つた時に能く其人を観れば、一斎先生の言の如く多くは誤たぬもので、度々会ふやうになつてからする観察は考へ過ぎて、却つて過誤に陥り易いものである、初めてお会ひした其の時に、この方は大抵斯んな方だなと思ふた感じには、いろ〳〵の理窟や情実が混ぜぬから、至極純な所のあるもので、その方が若し偽り飾つて居らるれば、その偽り飾つて居らる〻所が、初見の時にはチヤンと当方の胸の鏡に映つてあり〳〵と見えることになる、併し度々お会ひするやうになると、あ〻でない斯うであらう抔と、他人の噂を聞いたり、理窟をつけたり、事情に囚はれたりして考へ過ることになるから、却つて人物の観察を過まるものである。
書き下し
佐藤一斎先生は、人と初めて会った時に得た印象によってその人のいかなるかを判断するのが、最も間違いのない正確な人物観察法なりとせられ、先生の著述になった『言志録』のうちには、『初見の時に相すれば人多く違わじ』という句さえある。初めて会った時によくその人を観れば、一斎先生の言のごとく多くは誤たぬもので、たびたび会うようになってからする観察は考え過ぎて、かえって過誤に陥り易いものである。初めてお会いしたその時に、この方はたいていこんな方だなと思うた感じには、いろいろの理窟や情実が混ぜぬから、至極純なところのあるもので、その方がもし偽り飾っておらるれば、その偽り飾っておらるる所が、初見の時にはチャンと当方の胸の鏡に映ってありありと見えることになる。しかしたびたびお会いするようになると、ああでないこうであろうなどと、他人の噂を聞いたり、理窟をつけたり、事情に囚われたりして考え過ぎることになるから、かえって人物の観察を過まるものである。
現代語訳
佐藤一斎先生は、人と初めて会ったときに受けた印象によってその人がどういう人かを判断するのが、最も間違いのない正確な人物観察法であるとされ、先生の著書『言志録』の中には「初めて会ったときに見定めれば、多くの場合、人を見誤らない」という句さえある。初めて会ったときによくその人を観察すれば、一斎先生の言葉のとおり、たいていは誤らないもので、たびたび会うようになってからの観察は考えすぎて、かえって誤りに陥りやすい。初めてお会いしたときに、この方はだいたいこういう方だなと思った感じには、いろいろな理屈や情実が混じらないから、きわめて純粋なところがある。もしその方が偽り飾っておられるなら、その偽り飾っているところが、初対面のときにはちゃんとこちらの胸の鏡に映って、ありありと見えるのである。しかしたびたびお会いするようになると、ああではない、こうだろうなどと、他人の噂を聞いたり、理屈をつけたり、事情にとらわれたりして考えすぎるから、かえって人物の観察を誤るのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・人物の観察法論語に『子曰、視其所以、観其所由、察其所安、人焉廋哉、人焉廋哉』。初見の時に人を相する佐藤一斎先生の観察法や、人の眸子を観てその人を知る孟子の観察法は、ともにすこぶる簡易な手っ取り早い方法で、これによってたいていは大過なく、人物を正当に識別し得らるるものであるが、人を真に知ろうとするには、かかる観察法では到らぬところがあるから、ここに挙げた論語為政篇の章句のごとく、視、観、察の三つをもって人を識別せねばならぬものだというのが、孔夫子の遺訓である。
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『論語と算盤』処世と信条・人物の観察法視も観もともに「ミル」と読むが、視は単に外形を肉眼によって見るだけの事で、観は外形よりもさらに立ち入ってその奥に進み、肉眼のみならず心眼を開いて見ることである。すなわち孔夫子の論語に説かれた人物観察法は、まず第一にその人の外部に顕れた行為の善悪正邪を相し、それからその人の行為は何を動機にしているものであるかをとくと観、さらに一歩を進めて、その人の安心はどこにあるか、その人は何に満足して暮らしているか等を知ることにすれば、必ずその人の真人物が明瞭になるもので、いかにその人が隠そうとしても、隠し得られるものでないというにある。
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『論語と算盤』処世と信条・人物の観察法また孟子は『存乎人者、莫良於眸子、眸子不能掩其悪、胸中正、則眸子瞭焉、胸中不正、則眸子眊焉』と、孟子一家の人物観察法を説かれている。すなわち孟子の人物観察法は、人の眼によってその人物のいかんを鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがあるが、心情の正しいものは、眼が瞭然として淀みがないから、これによってその人のいかなる人格であるやを判断せよというにある。この人物観察法もなかなか的確の方法で、人の眼をよく観て置きさえすれば、その人の善悪正邪はたいてい知れるものである。
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『論語と算盤』教育と情誼・其罪果して孰れに在りや近世佐藤一斎という人も、よく弟子を感化せしめた。また広瀬淡窓も同様である。私の知ってるのは漢学の先生だけだけれども、師弟という関係が、昔風では一身を抽んでて親しむというのである。
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人物志・效難是の故に必ず草創に形を信ずるの誤り有り、又居止変化の謬り有り。故に其の接遇して人を観るや、行ひに随ひ名を信じて、其の中情を失ふ。故に
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人物志・七繆人を知る者は、目を以て耳を正し、人を知らざる者は、耳を以て目を敗る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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