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論語と算盤 / 処世と信条・天は人を罰せず

されば孔子が曰はれた『罪を天に獲る』とは、無理な真似をして不自然の行動に出づるといふ意味であらうかと思ふ、無理な真似をしたり不自然な行動をすれば、必ず悪い結果を身の上に受けねばならぬに極つて居る、その時になつて、その尻を何処かへ持つてゆかうとしたところで、元来が無理や不自然なことをして自ら招いだ応報であるから、何処へも持つて行き所がないと云ふことになる、これが即ち『禱る所なし』との意味である。

書き下し

されば孔子が言われた『罪を天に獲る』とは、無理な真似をして不自然の行動に出るという意味であろうかと思う。無理な真似をしたり不自然な行動をすれば、必ず悪い結果を身の上に受けねばならぬに極まっている。その時になって、その尻をどこかへ持ってゆこうとしたところで、元来が無理や不自然なことをして自ら招いた応報であるから、どこへも持って行き所がないということになる。これがすなわち『祷る所なし』との意味である。

現代語訳

だから孔子の言った「罪を天に獲る」とは、無理をして不自然なふるまいに出る、という意味だろうと思う。無理をしたり不自然なことをしたりすれば、必ず悪い結果を自分の身に受けることになっている。そうなってから、その尻をどこかへ持っていこうとしても、もともと無理や不自然によって自分が招いた報いなのだから、持って行き先がない。これが「祈る先がない」ということの意味である。

解説

章の題は「天は人を罰せず」。天が怒って罰を下すのではない、と渋沢は言う。無理を通せば、その無理が周囲の事情となって返ってくる。それを人が天罰と呼んでいるだけだ、という見方である。ここで効くのは「何処へも持つて行き所がない」の一句だろう。失敗の尻を持っていく先——部下、景気、運——を探している限り、原因は自分の無理にあるという診断には届かない。渋沢は同じ章で「天命之謂性」を引き、人には人の、草木には草木の分があると説く。分を超えて力ずくで通したことは、あとから祈っても取り消せない。神仏に頼む前に、どこで無理をしたのかを見よ、という実務の話である。

この章句が説くこと

罪を天に獲れば祷る所なし天罰無理と不自然因果応報

この一句を、あなたの毎日に。

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