六祖壇経 / 行由品第一
五祖堂前,有步廊三間,擬請供奉盧珍,畫楞伽經變相,及五祖血脉圖,流傳供養。神秀作偈成已,數度欲呈,行至堂前,心中恍惚,遍身汗流,擬呈不得;前後經四日,一十三度呈偈不得。秀乃思惟:不如向廊下書著,從他和尚看見,忽若道好,即出禮拜,云是秀作;若道不堪,枉向山中數年受人禮拜,更修何道?是夜三更,不使人知,自執燈,書偈於南廊壁間,呈心所見。偈曰:
新字:五祖堂前,有歩廊三間,擬請供奉盧珍,画楞伽経変相,及五祖血脉図,流伝供養。神秀作偈成已,数度欲呈,行至堂前,心中恍惚,遍身汗流,擬呈不得;前後経四日,一十三度呈偈不得。秀乃思惟:不如向廊下書著,従他和尚看見,忽若道好,即出礼拝,云是秀作;若道不堪,枉向山中数年受人礼拝,更修何道?是夜三更,不使人知,自執灯,書偈於南廊壁間,呈心所見。偈曰:
書き下し
五祖の堂前に、歩廊三間有り。供奉盧珍を請じて、楞伽経の変相、及び五祖の血脈図を画かしめ、流伝供養せんと擬す。神秀、偈を作り成し已(をは)りて、数度呈せんと欲し、行きて堂前に至れば、心中恍惚として、遍身に汗流れ、呈せんと擬して得ず。前後四日を経て、一十三度偈を呈せんとして得ず。秀乃ち思惟す、如(し)かず廊下に向ひて書著し、他の和尚の看見するに従はんには。忽若(も)し好しと道(い)はば、即ち出でて礼拝し、是れ秀の作なりと云はん。若し堪へずと道はば、枉げて山中に向ひて数年人の礼拝を受く、更に何の道をか修せん、と。是の夜三更、人をして知らしめず、自ら灯を執り、偈を南廊の壁間に書し、心の見る所を呈す。偈に曰く、
現代語訳
五祖の堂の前には三間の渡り廊下があった。宮廷画家の盧珍を招いて、楞伽経の変相図(経の内容を描いた絵)と、五祖に至る法の系譜図を描かせ、後世に伝えて供養しようとしていた。神秀は偈を作り終えると、何度も差し出そうとしたが、堂の前まで行くと心がぼうっとして全身に汗が流れ、出そうとしても出せなかった。前後四日のあいだに、十三回も偈を出そうとして出せなかった。そこで神秀は考えた。廊下の壁に書きつけておき、和尚が見るのに任せるほうがよい。もしよいと言われたら、すぐに進み出て礼拝し、これは神秀の作だと言おう。もし物にならないと言われたら、何年も山中で人から礼拝を受けてきたのは無駄だったことになる。この上どんな道を修めようというのか。その夜の三更(真夜中)、人に知られないよう自ら灯をかかげて、偈を南の廊下の壁に書き、心に見たところを示した。その偈に言う。
解説
関連する章句
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『六祖壇経』行由品第一秀、偈を書し了りて、便ち却(かへ)りて房に帰り、人総て知らず。秀復た思惟す、五祖明日偈を見て歓喜せば、即ち我、法と縁有り。若し堪へずと言はば、自ら是れ我迷ひ、宿業障重く、法を得るに合(かな)はず。聖意測り難し、と。房中に思想し、坐臥安からず、直ちに五更に至る。祖已に神秀の門に入りて未だ得ず、自性を見ざるを知る。天明けて、祖、盧供奉を喚びて来らしめ、南廊の壁間に向ひて図相を絵画せしめんとするに、忽ち其の偈を見て、報じて言ふ、「供奉、却つて画くを用ひず。爾を労して遠く来らしむ。経に云ふ、『凡そ所有(あらゆ)る相は、皆是れ虚妄なり』と。但だ此の偈を留めて、人に誦持せしめ、此の偈に依りて修せしめん。悪道に堕つるを免れ、此の偈に依りて修せば、大利益有り」と。門人をして香を炷(た)きて礼敬し、尽く此の偈を誦せしめ、即ち見性することを得しむ。門人偈を誦して、皆善き哉と嘆ず。祖、三更に秀を喚びて堂に入らしめ、問ひて曰く、「偈は是れ汝の作なりや否や」と。秀言ふ、「実に是れ秀の作なり。敢へて妄りに祖位を求めず。望むらくは和尚慈悲もて、弟子に少しの智慧有りや否やを看たまへ」と。祖曰く、「汝が此の偈を作るは、未だ本性を見ず。只だ門外に到りて、未だ門内に入らず。此の如き見解にては、無上菩提を覓むるも了に得べからず。無上菩提は、須らく言下に自らの本心を識り、自らの本性の不生不滅なるを見るべし。一切時中に於て、念念に自ら見て、万法に滞ること無し。一真なれば一切真なり。万境自ら如如たり。如如の心、即ち是れ真実なり。若し是の如く見ば、即ち是れ無上菩提の自性なり。汝且(しばら)く去りて、一両日思惟し、更に一偈を作りて、将ち来りて吾に看せしめよ。汝が偈若し門に入り得ば、汝に衣法を付せん」と。神秀、礼を作して出づ。又数日を経て、偈を作るも成らず、心中恍惚として、神思安からず、猶ほ夢中の如く、行坐楽しまず。一復た両日、一童子有り、碓坊を過ぎて其の偈を唱誦す。恵能一たび聞きて、便ち此の偈の未だ本性を見ざるを知る。未だ教授を蒙らずと雖も、早く大意を識る。
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『六祖壇経』行由品第一身は是れ菩提樹 心は明鏡臺の如し 時時に勤めて拂拭し 塵埃を惹かしむる勿れ
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『六祖壇経』行由品第一遂に童子に問ひて曰く、「誦する者は何の偈ぞ」と。童子曰く、「爾、這の獦獠は知らず。大師言ふ、世人生死事大なり、衣法を伝付せんと欲し、門人をして偈を作りて来り看せしむ。若し大意を悟らば、即ち衣法を付して第六祖と為さんと。神秀上座、南廊の壁上に於て無相の偈を書す。大師、人をして皆誦せしめ、此の偈に依りて修せば悪道に堕つるを免れ、此の偈に依りて修せば大利益有りと」と。恵能曰く、「上人、我此に碓を踏むこと八個余月、未だ曾て行きて堂前に到らず。望むらくは上人、引きて偈の前に至り礼拝せしめよ」と。童子引きて偈の前に至り礼拝せしむ。恵能曰く、「恵能は字を識らず。請ふ、上人為に読め」と。時に江州の別駕、姓は張、名は日用なる有り、便ち高声に読む。恵能聞き已りて、遂に言ふ、「亦一偈有り。望むらくは別駕為に書せよ」と。別駕言ふ、「汝も亦偈を作る、其の事希有なり」と。恵能、別駕に向ひて言ふ、「無上菩提を学ばんと欲せば、初学を軽んずるを得ず。下下の人にも上上の智有り、上上の人にも没意智有り。若し人を軽んぜば、即ち無量無辺の罪有り」と。別駕言ふ、「汝但だ偈を誦せよ、吾汝が為に書せん。汝若し法を得ば、先づ須らく吾を度すべし。此の言を忘るること勿れ」と。恵能の偈に曰く、
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『六祖壇経』行由品第一恵能曰く、「恵能、和尚に啓す。弟子が自心、常に智慧を生じ、自性を離れず、即ち是れ福田なり。未審(いぶか)し、和尚、何の務めをか作さしめんと教ふる」と。祖云ふ、「這(こ)の獦獠、根性大いに利なり。汝更に言ふこと勿れ。槽廠に著き去れ」と。恵能退きて後院に至るに、一行者有り、恵能を差して柴を破り碓(からうす)を踏ましむること、八月余を経たり。祖、一日忽ち恵能を見て曰く、「吾、汝の見の用ふべきを思ふも、悪人の汝を害せんことを恐れ、遂に汝と言はず。汝之を知るや否や」と。恵能曰く、「弟子も亦師の意を知り、敢へて行きて堂前に至らず、人をして覚らざらしむ」と。祖、一日諸の門人を喚びて総て来らしむ、「吾、汝に向ひて説かん。世人、生死事大なり。汝等終日只だ福田を求めて、生死の苦海を出離せんことを求めず。自性若し迷はば、福何ぞ救ふべけんや。汝等各去りて自ら智慧を看、自らの本心般若の性を取りて、各一偈を作り、来りて吾に呈して看せしめよ。若し大意を悟らば、汝に衣法を付して、第六代の祖と為さん。火急に速やかに去れ、遅滞するを得ず。思量すれば即ち用に中(あた)らず。見性の人は、言下に須らく見るべし。若し此の如き者は、刀を輪(まは)して陣に上るとも亦之を見ることを得ん」と。衆、処分を得て、退きて逓(たがひ)に相謂ひて曰く、「我等衆人、心を澄まし意を用ひて偈を作り、将(も)つて和尚に呈するを須ひず。何の益する所か有らん。神秀上座は、現に教授師為り、必ず是れ他(かれ)得ん。我が輩謾(みだ)りに偈頌を作るは、枉げて心力を用ふるなり」と。諸人、語を聞きて、総て皆心を息め、咸言ふ、「我等以後、秀師に依止せん。何ぞ偈を作るを煩はさん」と。神秀思惟す、「諸人の偈を呈せざるは、我が他の為に教授師為るが為なり。我須らく偈を作りて将て和尚に呈すべし。若し偈を呈せずんば、和尚如何ぞ我が心中の見解の深浅を知らん。我が偈を呈する意、法を求むるは即ち善、祖を覓むるは即ち悪、却つて凡心に同じく、其の聖位を奪ふと奚(なん)ぞ別たん。若し偈を呈せずんば、終に法を得ず。大いに難し、大いに難し」と。
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『六祖壇経』行由品第一「菩提本より樹無し、 明鏡も亦た臺に非ず、 本來無一物、 何れの處にか塵埃を惹かん。」
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『驢鞍橋』卷下因に人問ふ、神秀大師の真性の偈は、邪見なりや。師曰く、自性を見たる偈には非ず。然れども修行の指南には宜し。又問ふ、乍去師の嫌ひ玉ふ処の実有の念を以て修すること□生れなから無漏心の人有るべからず。心を以て心を拭つては捨て捨てするより外なし、但し其の内念に戦て妄想からかひするは錯也。只勇猛心を以て善悪の心共に打払ひ打払ひぬんと用ふべき也。○いかき性とは、関山和尚堂もりし時、もりを持来れと有けれは、人の小僧ちやつといかきを持来てもりにすく。関山之を見て、法器なりと褒め給ふこと也。
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