導師導古典を学びたいすべての人に

驢鞍橋 / 卷中

師曰く我に離るゝ事也、我にさへ離れぬれは、萬德を使ふ也。性は明るがらうとも、暗からうとも、行は强からうとも弱からうとも、只我に離るゝ筋を勤めは、萬德の筋を修する人也。志のないと云ふも、我に離れ度き心の無きを云ふ也。扨て此の外物知りの、學者の、行者の、能筆の、作者の抔と云ふは、法中の藝者也。正法にあらす縱ひ一文不通なりとも我に離るゝ筋を修する人を正法と定れは、誰れも聞く事に非すや。加樣の大すへをさへ知りめされぬは愚なる事也。あつたら雜談を其方達に聞かせたり。能く耳のある者に聞かせたし。是れ程の事も正三が死ねば、誰れても沙汰してかをりない御坊主達、聞き置てくれめされよと也。

新字:師曰く我に離るゝ事也、我にさへ離れぬれは、万徳を使ふ也。性は明るがらうとも、暗からうとも、行は強からうとも弱からうとも、只我に離るゝ筋を勤めは、万徳の筋を修する人也。志のないと云ふも、我に離れ度き心の無きを云ふ也。扨て此の外物知りの、学者の、行者の、能筆の、作者の抔と云ふは、法中の芸者也。正法にあらす縦ひ一文不通なりとも我に離るゝ筋を修する人を正法と定れは、誰れも聞く事に非すや。加様の大すへをさへ知りめされぬは愚なる事也。あつたら雑談を其方達に聞かせたり。能く耳のある者に聞かせたし。是れ程の事も正三が死ねば、誰れても沙汰してかをりない御坊主達、聞き置てくれめされよと也。

書き下し

師曰く我に離るゝ事也、我にさへ離れぬれは、万徳を使ふ也。性は明るがらうとも、暗からうとも、行は強からうとも弱からうとも、只我に離るゝ筋を勤めは、万徳の筋を修する人也。志のないと云ふも、我に離れ度き心の無きを云ふ也。扨て此の外物知りの、学者の、行者の、能筆の、作者の抔と云ふは、法中の芸者也。正法にあらす縦ひ一文不通なりとも我に離るゝ筋を修する人を正法と定れは、誰れも聞く事に非すや。加様の大すへをさへ知りめされぬは愚なる事也。あつたら雑談を其方達に聞かせたり。能く耳のある者に聞かせたし。是れ程の事も正三が死ねば、誰れても沙汰してかをりない御坊主達、聞き置てくれめされよと也。

現代語訳

師は言われた。「我を離れることである。我さえ離れてしまえば、万徳を使えるのである。生まれつきが明るかろうと暗かろうと、行いが強かろうと弱かろうと、ただ我を離れる筋を勤めれば、万徳の筋を修める人である。志がないというのも、我を離れたいという心がないことを言うのである。さて、このほかの物知りだの、学者だの、行者だの、能筆だの、作者だのというのは、法の中の芸者である。正法ではない。たとえ一文字も読めなくとも、我を離れる筋を修める人を正法と定めれば、誰にでも分かることではないか。このような大筋さえご存じないのは愚かなことである。もったいない話をあなた方に聞かせてしまった。よく耳のある者に聞かせたいものだ。これほどのことも、正三が死ねば、誰も取り上げる者はいなくなるだろう。お坊様方、聞き置いてくだされよ」とのことである。

解説

僧たちが黙り込んだあと、正三は万徳を使う要が我を離れることにあると明かす。生まれつきの明暗も、行の強弱も問わず、我を離れる筋を勤める人こそが正法の人だというのである。学識や能筆、著作の才などは、法の中の芸にすぎないと正三は言い切る。一文字も読めなくても正法を修められるという主張は、身分や教養を問わない、開かれた修行観を示している。肩書きや技能の前に、自分へのこだわりを外せているかを問う言葉である。

この章句が説くこと

我執万徳正法志無我

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る