驢鞍橋 / 卷中
時に一僧云ふ、御奉行中より、いや付屬とは、伽藍建立の事也。法の事は出家こそ知れ、俗方の知る所に非すと仰せ有らは如何。師曰く、夫れならは伽藍建立を付屬とこそ有るへきに、直に佛法を付屬すと申し置かれたり。是非に申し上くへし。又僧云ふ、と云ふても知らぬ事は正されてこそあらは如何。師曰く、されは其の儀にて御座ある、喩へは一文字御存無くても、筆道者を立て置かれは、墨跡の正邪を分ち價を著く、□猶ほ如是法眼等あり。又作り焼き少しも御存知無く共、本阿彌樣の者を立て置き給ふ故に、似せ正銘を分ち價を着く是れ源を立ておかれ、御政道正しき故也。爰を以て諸道、何れも廢れす。然るに佛法計捨て置き給ふに因て、人々佛法を巧み、自ら錯り人を錯れとも、法度してもなし。故に二百年餘り邪法と罷り成れり。是れを御僉議なされぬと云ふことあらんや。右申し上く通り御存知なくとも、諸宗を集め僉議させ聞し召させ、忽ち正法に罷り成る義也。其上僉議は姥かゝの耳にも、その儘聞ゆる事也と申し上くへし
新字:時に一僧云ふ、御奉行中より、いや付属とは、伽藍建立の事也。法の事は出家こそ知れ、俗方の知る所に非すと仰せ有らは如何。師曰く、夫れならは伽藍建立を付属とこそ有るへきに、直に仏法を付属すと申し置かれたり。是非に申し上くへし。又僧云ふ、と云ふても知らぬ事は正されてこそあらは如何。師曰く、されは其の儀にて御座ある、喩へは一文字御存無くても、筆道者を立て置かれは、墨跡の正邪を分ち価を著く、□猶ほ如是法眼等あり。又作り焼き少しも御存知無く共、本阿弥様の者を立て置き給ふ故に、似せ正銘を分ち価を着く是れ源を立ておかれ、御政道正しき故也。爰を以て諸道、何れも廃れす。然るに仏法計捨て置き給ふに因て、人々仏法を巧み、自ら錯り人を錯れとも、法度してもなし。故に二百年余り邪法と罷り成れり。是れを御僉議なされぬと云ふことあらんや。右申し上く通り御存知なくとも、諸宗を集め僉議させ聞し召させ、忽ち正法に罷り成る義也。其上僉議は姥かゝの耳にも、その儘聞ゆる事也と申し上くへし
書き下し
時に一僧云ふ、御奉行中より、いや付属とは、伽藍建立の事也。法の事は出家こそ知れ、俗方の知る所に非すと仰せ有らは如何。師曰く、夫れならは伽藍建立を付属とこそ有るへきに、直に仏法を付属すと申し置かれたり。是非に申し上くへし。又僧云ふ、と云ふても知らぬ事は正されてこそあらは如何。師曰く、されは其の儀にて御座ある、喩へは一文字御存無くても、筆道者を立て置かれは、墨跡の正邪を分ち価を著く、□猶ほ如是法眼等あり。又作り焼き少しも御存知無く共、本阿弥様の者を立て置き給ふ故に、似せ正銘を分ち価を着く是れ源を立ておかれ、御政道正しき故也。爰を以て諸道、何れも廃れす。然るに仏法計捨て置き給ふに因て、人々仏法を巧み、自ら錯り人を錯れとも、法度してもなし。故に二百年余り邪法と罷り成れり。是れを御僉議なされぬと云ふことあらんや。右申し上く通り御存知なくとも、諸宗を集め僉議させ聞し召させ、忽ち正法に罷り成る義也。其上僉議は姥かゝの耳にも、その儘聞ゆる事也と申し上くへし
現代語訳
その時、一人の僧が言った。「御奉行衆から、『いや、付属というのは伽藍建立のことである。法のことは出家こそが知ることで、俗人の知るところではない』と仰せがあったらどうなさいますか。」師は言われた。「それならば『伽藍建立を付属する』とあるべきところを、直に『仏法を付属する』と言い置かれている。ぜひとも申し上げるべきだ。」また僧が言った。「そうは言っても、知らないことは正しようがない、と言われたらどうなさいますか。」師は言われた。「それはそのとおりでございます、と申し上げる。たとえば、一文字もご存じなくとも、書道の達者を立てておかれれば、墨跡の真偽を分けて値をつける。□もまた同様で、法眼などがいる。また刀の作りや焼きを少しもご存じなくとも、本阿弥のような者を立てておかれるので、偽物と正銘を分けて値をつける。これは源を立てておかれ、御政道が正しいからである。これによって諸道はどれも廃れない。ところが仏法だけを捨て置かれるので、人々は仏法を巧みに言いつくろい、自ら誤り人を誤らせても、取り締まりもない。ゆえに二百年余り邪法となってしまった。これを御僉議なさらないということがあろうか。先に申し上げたとおり、ご存じなくとも、諸宗を集めて僉議させてお聞きになれば、たちまち正法となるはずである。そのうえ僉議の中身は、老婆の耳にもそのまま分かることだ、と申し上げるべきだ。」
解説
この章句が説くこと
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説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
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論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
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論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
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史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
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論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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