驢鞍橋 / 卷中
師便ち曰く、我八十年苦勞せしかとも、誰ても聞く人なく、時に逢はす、只打くさる迄也。餘りの悲しさに、今こそ見者なくとも末世に殘し應緣の者を待たんと思ふて是れを書く也。又曰く、今時正法滅する故に、三寳の光失して、國土世界、無明の闇となる。扨て扨て笑止千萬なる事哉。何とぞ御下知を以て、正法を立て國土を明かならしめんと思ふ也。今時は直に達磨の出世ありても、正法立ち難し。末世にては國王大臣に付属すと申し置かれたり。然るに付屬と申し置かれたる處を捨おかれ、佛法はかり御政道に預らさる事迷惑の至り也。是非共正法建立の御下知仰き奉ると御訴訟申し上けんとの念願はかり也。
新字:師便ち曰く、我八十年苦労せしかとも、誰ても聞く人なく、時に逢はす、只打くさる迄也。余りの悲しさに、今こそ見者なくとも末世に残し応縁の者を待たんと思ふて是れを書く也。又曰く、今時正法滅する故に、三宝の光失して、国土世界、無明の闇となる。扨て扨て笑止千万なる事哉。何とぞ御下知を以て、正法を立て国土を明かならしめんと思ふ也。今時は直に達磨の出世ありても、正法立ち難し。末世にては国王大臣に付属すと申し置かれたり。然るに付属と申し置かれたる処を捨おかれ、仏法はかり御政道に預らさる事迷惑の至り也。是非共正法建立の御下知仰き奉ると御訴訟申し上けんとの念願はかり也。
書き下し
師便ち曰く、我八十年苦労せしかとも、誰ても聞く人なく、時に逢はす、只打くさる迄也。余りの悲しさに、今こそ見者なくとも末世に残し応縁の者を待たんと思ふて是れを書く也。又曰く、今時正法滅する故に、三宝の光失して、国土世界、無明の闇となる。扨て扨て笑止千万なる事哉。何とぞ御下知を以て、正法を立て国土を明かならしめんと思ふ也。今時は直に達磨の出世ありても、正法立ち難し。末世にては国王大臣に付属すと申し置かれたり。然るに付属と申し置かれたる処を捨おかれ、仏法はかり御政道に預らさる事迷惑の至り也。是非共正法建立の御下知仰き奉ると御訴訟申し上けんとの念願はかり也。
現代語訳
師はそこで言われた。自分は八十年苦労してきたが、誰一人聞く人もなく、時に巡り合わず、ただ朽ち果てるばかりである。あまりの悲しさに、今こそ見る者がいなくても、後の世に残して、縁ある者を待とうと思って、これを書くのである。また言われた。今の世は正法が滅びたために、三宝の光が失われ、国土も世界も無明の闇となっている。まったく嘆かわしいことだ。なんとかご下知によって正法を立て、国土を明るくしたいと思うのである。今の世では、たとえ達磨がそのまま世に出られても、正法は立ちがたい。末世においては国王・大臣に付属すると言い置かれている。それなのに、付属すると言い置かれたところを捨て置かれ、仏法だけが御政道に預からないのは迷惑至極である。何としても正法建立のご下知を仰ぎたいと、ご訴訟を申し上げようという念願ばかりである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。
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『驢鞍橋』卷中一日人来り修行の念願の意を問ふ。師示めして曰く、一仏曰く、仏法は国王大臣有力の檀那に付属すと説きたまへり。然らは公義の御下知なくしては、仏法正理なるへからずと書いたは、今時は仏の出世にても正理立ち難し。只御公義より下知あれは、忽ち正理に成る也。仏も是れに仍て国王大臣に付属すと申し置かれたり。あはれあはれ、御下知に因て仏法正理になしたまへかしと乍恐念願に存し奉る也。もはや二百年に余て、我朝の正法絶え果てり、扨て、是非に及はぬ次第也。此の段御訴訟申上度念願計也
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『驢鞍橋』卷下去る暁、不図衆中に向て曰く、我口惜しく思ふこと有り、刀には本阿弥ありて、似本銘を分ち価を付く、手筆も源ありて似正筆を分つ、諸道皆如是なる間癈れず。是れ御下知正しき故也。然るに仏法計源なく目利する人無き故に、人人我仏法計にて廃れ果ること、全身口惜しく思ふ也。是れ偏に仏法計御捨有りて、人人有度儘にあらせ給ふ故也。この段是非とも訴訟申し上けんと思ふこと、胸を破て出るほど思へとも、終に天道に許されす。当君の御十五に成り給はば、御仕置遊はれんずか、御二十ならば、直目安かつがれんずか、乍去も早や我命つまれりと也。又曰く、何と御老中の広間迄、仏像を持出て、仏法はまつかくの次第也と云はんか抔と思へども、是れも便を得ず。只打腐て果る也。我は頓て無くなる間、御坊主達聞き置てくれめされよと也。
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『驢鞍橋』卷下良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。
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『驢鞍橋』卷下午の極月、夜話の次で曰く、仏法の御政道、如何にしてか御公儀へ訴へ奉らんとありければ、一僧曰く、無理に此方より申し上るとも、あなたより思召より無くんば、用に立つべからず。何とずあなたより召出さるゝ様な方便有らば然るべしと云ふ。師呵して曰く、夫けなたわけたことを、我前にて能く云はるゝこと也。我旨を知るべからず、是非に於て一命を捨て申し上けんと切れ切つて居る也。誠に云はるゝ物ならば、幽霊に成てなりとも申上け度く思ふ也。そのあなたより思召より玉ふ方便する抔と云ふことに非す。何とあらんとも、是非に申し達せんと云ふ機胸に指張て居る也。我旨を知るべからずと、大に呵し給ふ也。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、古の祖師達にも、修行熟せるは少しと見えたり。大方小見解を是とし、経文語録を以て法語を書き、教化抔して語録等を残されたると思ふ也。なければこそ强く心を修した位を、誰でも書き残したる人なし。皆心安く隙を明けて成らぬと云ふ事を云ひ置きたる人なし。我は末世に残すならば、何とも成らぬ物ぢやと云ふ事を書付けて残すへしと也。
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