驢鞍橋 / 卷中
〇一、佛像建立の趣を見るに、門に金剛の形像を立置き、坐敷には十二神、十六善神、八金剛、四天王、五大尊、各々威勢を振ひ、物の具を着し、鋒刀杖弓矢を持て雙ひ在す、此の意に徹せすして修行する人は、六賊煩惱を治すること難し。修行踈にして、此の意に至るへからす。願はくは佛像に眼を著て、修行し給へかしとの念願也、と云ふは、佛像の位を能く見て、あの機を受け、是れを手本と成して修せよとの念願也。此の意を受けすして煩惱を滅すること有るへからす。去りなから此の段計は我機になけれは、沙汰には云ひ聞かせ難し、習ひ事にして末々にて錯り多かるへし。只我と機に受くへき也。
新字:〇一、仏像建立の趣を見るに、門に金剛の形像を立置き、坐敷には十二神、十六善神、八金剛、四天王、五大尊、各々威勢を振ひ、物の具を着し、鋒刀杖弓矢を持て双ひ在す、此の意に徹せすして修行する人は、六賊煩悩を治すること難し。修行疎にして、此の意に至るへからす。願はくは仏像に眼を著て、修行し給へかしとの念願也、と云ふは、仏像の位を能く見て、あの機を受け、是れを手本と成して修せよとの念願也。此の意を受けすして煩悩を滅すること有るへからす。去りなから此の段計は我機になけれは、沙汰には云ひ聞かせ難し、習ひ事にして末々にて錯り多かるへし。只我と機に受くへき也。
書き下し
〇一、仏像建立の趣を見るに、門に金剛の形像を立置き、坐敷には十二神、十六善神、八金剛、四天王、五大尊、各々威勢を振ひ、物の具を着し、鋒刀杖弓矢を持て双ひ在す、此の意に徹せすして修行する人は、六賊煩悩を治すること難し。修行疎にして、此の意に至るへからす。願はくは仏像に眼を著て、修行し給へかしとの念願也、と云ふは、仏像の位を能く見て、あの機を受け、是れを手本と成して修せよとの念願也。此の意を受けすして煩悩を滅すること有るへからす。去りなから此の段計は我機になけれは、沙汰には云ひ聞かせ難し、習ひ事にして末々にて錯り多かるへし。只我と機に受くへき也。
現代語訳
一、「仏像建立の趣旨を見ると、門には金剛力士の像を立て置き、座敷には十二神将、十六善神、八大金剛、四天王、五大明王が、それぞれ威勢をふるい、武具を着け、鉾・刀・杖・弓矢を持って並んでおられる。この意味に徹しないで修行する人は、六賊煩悩を治めることは難しい。修行がおろそかでは、この意味に至ることはできない。どうか仏像に眼をつけて修行していただきたい、との念願である」というのは、仏像の位をよく見て、あの機を受け、これを手本として修めよという念願である。この意を受けずに煩悩を滅することはありえない。とはいえ、この段ばかりは各自の機にかかっているので、言葉で言い聞かせることは難しい。習い事にしてしまうと、後々に誤りが多くなるだろう。ただ自分で機として受け取るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、仏道修行と云ふは、二王不動の大堅固の機を受けて修すること、一つ也。此機を以て身心を責滅すより外、別に仏法を知らず。若し我法に入らんと思ふ人は、機をひつ立、眼をすゑ、二王不動悪魔降伏の形像の機を受け、二王心を守て悪業煩悩を滅すべし。古来より此仏像の沙汰したる人聞ねども、如何にしても我胸に相応して用ゐて、万事に自由也。仏は勇猛精進と諸経に多く説き給ふと見えたり。此機を受けずして煩悩に勝つと不可有。第一に仏像の機を受くると云ふことを能く可知。無精にして此機移るべからす、専ら仏像に眼を著けて二六時中金剛心を守るべしと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、仏道修行は、仏像を手本にして修すべし。仏像と云ふは、初心の人如来像に眼を著けて如来坐禅は及ぶべからす、只二王不動の像等に眼を著けて二王坐禅を作すへし。先づ二王は仏法の入口、不動は仏の始めと覚えたり。然れはこそ二王は門に立ち、不動は十三仏の始めに在ます。彼の機を受けすんば煩悩に負くべし。只一頭に强き心を用ゆるの外なし。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、凡夫元より物に碍らずして、ぬんとしたる如来心有れども、六賊煩悩に責め失はれて居る也。然る間二王心を以て六賊煩悩を防ぐときんば、自ら本心はそだつ也。譬へば下馬には棒つき有り、内には広間番、段々の番所ありて、堅く守護し奉れば、君自ら大平に在すが如し。二王は是れ如来の足軽坐禅也。先づ此足軽坐禅をよう仕習ひめされよ。扨亦坐敷には十六善神。四天王、段々の本心の守護神有り、亦十二神は頭に十二支を頂き給ふ、是れ十二時の番衆也。如是十二時中强く守るときんば、煩悩消滅して、本尊自ら堅固也。此機を受けすして煩悩に勝つ事有るべからす。此仏像の道理計りは是非に御公儀へ申上け度く思ふ也。云はるゝ物ならは幽霊に成りてなりとも云ひ度く思ふと也。
-
『驢鞍橋』卷上又曰く、総して羅漢等に至る迄機を付けて見るべし、機の抜けたる仏像あるべからす。皆眼すわつて活きた形計り也。毘沙門のあまのじやくを蹈付け給ふ処は、自己を睨付けて守る位也。扨韋駄天抔も急度つまつた処を造りたるは、能き造り様、庫裡の本尊とも云ふべき像也。大形仏像は見ゆるが大黒計り指して面白くも思はず、定めて様子有るべしと也。
-
『驢鞍橋』卷中〇一、仏は万徳円満と也。然らは万徳の旨なくして修行する人は、仏弟子にあらす。願はくは万徳を旨として修行したまへかしとの念願也、と云ふは、万徳は、使ふ様に修せねは使はれぬ也。勇猛の機□する程に、次第に使はるゝ也。然る間、此の旨を守て修行せよとの念願也。畢竟万徳を使ふ事は、我を離るゝを体とする也。〇一、仏宝、法宝、僧宝、是れを三宝と崇め奉る也。此の三宝を受て万民に施し、国土の宝となすへき旨なくして修行する人は、僧に非す。願はくは三宝の旨を守て修行し給へかしとの念願也、と云ふは、本心を仏宝とし、契ふを法宝とし、人に施すを僧宝とす、僧宝なけれは、仏法の二法は立たぬ也。然る間、万民を安んし国土の宝となる様に、真の道を修行し給へかしとの念願也。修し様は、何も前の万徳円満の筋一つ也。
-
『驢鞍橋』卷中先つ仏法と云ふは、六賊煩悩を打滅す事也。なに生々悪道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を強く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ強けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と強く切払へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して内外打成一片となつて、内にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を尽く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ実有は尽きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと実有破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る