驢鞍橋 / 卷中
又曰く、末の五段は申しても詮なし、我は頓て死ぬ程に、筋を能く知らせん爲めに書く。俄に如此使はるゝものにはあらす、世々生々をかけて如是修しをゝせんと、筋を能く心得て、念願を以てせよと云ふ事也。一世や二世で自由になるへしとは思ふへからす。我も能く筋を辨へ、慥に種を取つたれとも、自由は得ぬ也。喩へは金は金と見付けたれとも、手に取らされは使はれぬか如く也。
新字:又曰く、末の五段は申しても詮なし、我は頓て死ぬ程に、筋を能く知らせん為めに書く。俄に如此使はるゝものにはあらす、世々生々をかけて如是修しをゝせんと、筋を能く心得て、念願を以てせよと云ふ事也。一世や二世で自由になるへしとは思ふへからす。我も能く筋を弁へ、慥に種を取つたれとも、自由は得ぬ也。喩へは金は金と見付けたれとも、手に取らされは使はれぬか如く也。
書き下し
又曰く、末の五段は申しても詮なし、我は頓て死ぬ程に、筋を能く知らせん為めに書く。俄に如此使はるゝものにはあらす、世々生々をかけて如是修しをゝせんと、筋を能く心得て、念願を以てせよと云ふ事也。一世や二世で自由になるへしとは思ふへからす。我も能く筋を弁へ、慥に種を取つたれとも、自由は得ぬ也。喩へは金は金と見付けたれとも、手に取らされは使はれぬか如く也。
現代語訳
また言われた。末の五段は、言ったところで詮無いことだが、自分はまもなく死ぬのだから、筋道をよく知らせるために書くのである。急にこのように使えるものではない。生まれ変わり死に変わりを重ねてでも、このように修めおおせようと、筋道をよく心得て、念願をもって修行せよ、ということである。一世や二世で自由になれるなどと思ってはならない。自分も筋道はよくわきまえ、確かに種は取ったけれども、自由は得ていないのである。たとえば、金を金と見つけても、手に取らなければ使えないようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上我書く処の如く、実有を離れたらば仏境界なるへし。見性の人も常住あの如く用ゐ得へからす。我も久しく强く用ふれども実は醒めぬ也。此前は强弓を引張りたるが如く、機の位有りけるが、今少し老敷成りて覚ゆ。此前は我は覚えさるか、不断眼すわつて見えたりと人いへり。誠に過去より種を持来る人は不知、一生に勢を出し種を取る事は、我ほどのも多くは有るへからす。我も慥に種は取りたる也。八万地獄の底に落ちたりとも、はや種はおとさぬ也。総して怨霊と成る程の機無くんば、種と成るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷下後世を願ふと云ふは、修し行して心老しく成り、物に碍らぬ様に用ゆること也。何としても初心にて心老しく成かたき物也。此の用には盲安杖が好き也。あれを見て、我には此の病有り、此の段を守て徳に至るべしと見るべき也。然れども盲安杖さへ左様に見る人なし。如是見ずんば、何返見ても益有るべからすと也。
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『驢鞍橋』卷下午の十月三日、臨終の僧に示して曰く、死しめされても、大事をりないぞ。まだ二十年三十年生きて修しめされたりとも、易ること有るべからす、我も八十迄生きたれども、何の変もなし。乍去我は慥に種は取つた也。其方も只種を失はじときつと守り終るべし。前は地獄へも何くへも行け、体は何たる体にもなれ、何と成ても大事をりないそ。我も人も只種を失はずして、出ては修し修すること也。昔も実に隙の明きたるは、釈迦御一人なるべし。其外の祖師殊に我朝の伝教、弘法、まだ仏境界には遥なるべし。心安く思ひめされよ。少し計りなからへたりとも、何の変も有るべからす。畢竟命は因果次第也。我知る処に非す。扨て種は我次第也。强く眼を着け、万事を放下して、正しく守り終るべしと有りければ、病僧正念にして逝去す。
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『驢鞍橋』卷上一日武士来て法要を問ふ。師示して曰く、後世を願ふと云ふは、此糞袋を何とも思はず打捨つる事也。是れを仕習ふより別の仏法を知らす、我は若き時より是れ計りを仕習ひし也。先づ千騎万騎抜きそろへたる備の中に超入り、胴腹を撞きぬかれて、死に死にして死習ひしに、是れは頓て仕習ひて超入られたり。亦谷底に大蛇口を張り居るに飛込み、角に取着き居習ふに、是れも頓て仕習ひて角に取着き居られたり。爰になにもなき坿の下ヘ、只落ちて死んで見るに、中中張合無くして飛ばれさる也。然れとも此比になつて少し飛ばるゝかと思ふ也。各々もなにとも思はず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習はるべし。なる程强き心を用ゐすして叶ふべからずと也。
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『驢鞍橋』卷中師曰く我に離るゝ事也、我にさへ離れぬれは、万徳を使ふ也。性は明るがらうとも、暗からうとも、行は強からうとも弱からうとも、只我に離るゝ筋を勤めは、万徳の筋を修する人也。志のないと云ふも、我に離れ度き心の無きを云ふ也。扨て此の外物知りの、学者の、行者の、能筆の、作者の抔と云ふは、法中の芸者也。正法にあらす縦ひ一文不通なりとも我に離るゝ筋を修する人を正法と定れは、誰れも聞く事に非すや。加様の大すへをさへ知りめされぬは愚なる事也。あつたら雑談を其方達に聞かせたり。能く耳のある者に聞かせたし。是れ程の事も正三が死ねば、誰れても沙汰してかをりない御坊主達、聞き置てくれめされよと也。
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『驢鞍橋』卷下一日曰く、我今度娑婆に出て、何の詮も無く死する也。乍去今度の功徳には、仏像を一つ見出したる計也。是れは定めて仏経に有るべし、後来尋ね見るべし。縦ひ無くとも如是勤めば錯なるべからすと也。
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