驢鞍橋 / 卷中
又夫れ達道人と云ふは、本來空なる理を知て、理と義を鍜治となし、日夜此の心を鍊鍜して、不淨穢惡の垢を去り、淸淨無碍の心劔となし、我執貪著の念根を截斷して、萬念に勝得て、一切の上に乘て、物の爲めに煩はず、不生不滅なるを、道人といふ也と云ふは、先つ理と義を以て心をみかゝすして、何を以て磨かんや。是を以て强く磨く則は、不淨のさび盡ききれは出て、我執の念根を切る也。我執さへきれは、萬念に勝て自在也。苦樂共に何ともなし。是れを道人と云ふ也。
新字:又夫れ達道人と云ふは、本来空なる理を知て、理と義を鍜治となし、日夜此の心を錬鍜して、不浄穢悪の垢を去り、清浄無碍の心剣となし、我執貪著の念根を截断して、万念に勝得て、一切の上に乗て、物の為めに煩はず、不生不滅なるを、道人といふ也と云ふは、先つ理と義を以て心をみかゝすして、何を以て磨かんや。是を以て強く磨く則は、不浄のさび尽ききれは出て、我執の念根を切る也。我執さへきれは、万念に勝て自在也。苦楽共に何ともなし。是れを道人と云ふ也。
書き下し
又夫れ達道人と云ふは、本来空なる理を知て、理と義を鍜治となし、日夜此の心を錬鍜して、不浄穢悪の垢を去り、清浄無碍の心剣となし、我執貪著の念根を截断して、万念に勝得て、一切の上に乗て、物の為めに煩はず、不生不滅なるを、道人といふ也と云ふは、先つ理と義を以て心をみかゝすして、何を以て磨かんや。是を以て強く磨く則は、不浄のさび尽ききれは出て、我執の念根を切る也。我執さへきれは、万念に勝て自在也。苦楽共に何ともなし。是れを道人と云ふ也。
現代語訳
また「そもそも達道の人というのは、本来空である理を知って、理と義を鍛冶として、日夜この心を鍛え、不浄で汚れた垢を去り、清浄で妨げのない心の剣とし、我執と貪著の念の根を截ち切って、万念に勝ち、一切の上に乗って、物のために煩わず、不生不滅であるのを道人という」と書いたのは、まず理と義で心を磨かずに、何で磨けようか、ということである。これで強く磨けば、不浄の錆が尽きて切れ味が出て、我執の念の根を切るのである。我執さえ切れれば、万念に勝って自在である。苦も楽もともに何ともない。これを道人というのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四朱子曰く、天下の物は、必ず各其の然る所以の故と、其の当に然るべき所の則と有り。所謂理なり、と。愚謂へらく、二者は姑く事親の一事を以て之を言はん。我の父母に於けるや、資始資生の恩有りて、天地と斉し。且つ其の幼より長に至るまで、鞠育教誨の愛も亦た至れり。昊天罔極と謂ふべし。是れ父母に孝なる所以然の故なり。父母に事ふるの道、当に其の功を用ふべき者は、愛敬を致して其の力を竭くすに在り。且つ志を養ひ口体を養ふことを加へ、温凊定省、皆闕くべからざる所なり。是れ所当然の則なり。故と則と皆是れ理なり。然れども別ちて之を言へば、所以然の故なる者は理なり、所当然の則なる者は義なり。
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『慎思録』巻之三君に忠なるべきの理有り、父に孝なるべきの理有り、子に慈なるべきの理有り。此れ則ち物に在るの理にして、吾の之に孝し之に忠し之に慈する者は、此れ我に在るの理なり。此れ物我一理なりと雖も、然れども亦謾りに混同して、只一理と曰はば、則ち恐らくは一本万殊物我体用の処に於て、猶ほ未だ瑩らかならざる所有らん。程子曰く、物に在るを理と為し、物に処するを義と為す、と。此れ物に在ると我に在るとの異なり。然りと雖も物に在るの理と、我に在るの理とは、通徹して隔て無し。我に在るの理も、亦物に在るの理に合へば、則ち豈に内外彼我の別有らんや。理を以て徧く物に在りと為すは、是れ告子の義外の説なり。理を以て専ら心に在りと為すは、是れ陸子の物を遺るの学なり。謾りに只一理と曰ふも、亦冥然として明らかならず、乱雑にして章無し。只物我を以て理一分殊と為して、相体用を為すと説く者、恐らくは之を得たりと為さん。
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『慎思録』巻之一物に在るを理と為し、物に処するを義と為す。之を飢人に譬ふれば、食を欲するの理は彼に在り、食を与ふるの宜しきは我に在り。父の如きは、宜しく愛敬すべきの理は彼に在り、当に愛敬すべきの義は我に在り。是れ理義の弁なり。然る所以の者は理なり、当に然るべき所の者は義なり。亦是れ此の意なり。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・惟だ其の理のみ勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
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