驢鞍橋 / 卷中
又行脚の段に、靈佛靈社に參詣して、靈性淸淨の機を受け、自己淸淨と成り、山水草木に向つても、彼れか淸淨の機を受けて自已を淨めと云ふも、機に移りたるに仍て書く也。又願力の段に、自巳の德益なきのみならす、剩へ萬人の心に違て、他人を引て惡道に入るへきこと、かねて知らすんば有るへからすと云ふは我か惡にて我一人沈むはせめて也。萬人が無道人の坊主哉、いやどうよくなる入道哉と、さまざま地獄を造て堕る也。行ひ惡しき人の、諸人を引て惡道に入ること如是。大なる咎也。
新字:又行脚の段に、霊仏霊社に参詣して、霊性清浄の機を受け、自己清浄と成り、山水草木に向つても、彼れか清浄の機を受けて自已を浄めと云ふも、機に移りたるに仍て書く也。又願力の段に、自巳の徳益なきのみならす、剰へ万人の心に違て、他人を引て悪道に入るへきこと、かねて知らすんば有るへからすと云ふは我か悪にて我一人沈むはせめて也。万人が無道人の坊主哉、いやどうよくなる入道哉と、さまざま地獄を造て堕る也。行ひ悪しき人の、諸人を引て悪道に入ること如是。大なる咎也。
書き下し
又行脚の段に、霊仏霊社に参詣して、霊性清浄の機を受け、自己清浄と成り、山水草木に向つても、彼れか清浄の機を受けて自已を浄めと云ふも、機に移りたるに仍て書く也。又願力の段に、自巳の徳益なきのみならす、剰へ万人の心に違て、他人を引て悪道に入るへきこと、かねて知らすんば有るへからすと云ふは我か悪にて我一人沈むはせめて也。万人が無道人の坊主哉、いやどうよくなる入道哉と、さまざま地獄を造て堕る也。行ひ悪しき人の、諸人を引て悪道に入ること如是。大なる咎也。
現代語訳
また行脚の段に「霊仏霊社に参詣して霊性の清浄な機を受け、自己が清浄となり、山水草木に向かっても、その清浄な機を受けて自己を浄めよ」と書いたのも、自分がその機に移ったから書いたのである。また願力の段に「自己の徳益がないばかりか、かえって万人の心に背き、他人を引いて悪道に入れてしまうことを、前もって知っていなければならない」と書いたのは、自分の悪で自分一人が沈むならまだましだということである。万人が「無道な坊主だ」「なんと強欲な入道だ」と言って、さまざまに地獄を造って堕ちるのである。行いの悪い人が、多くの人を引いて悪道に入れることはこのようである。大きな罪である。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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